現在、行列は猿楽町を巡行中です。
猿楽町には明治11年に夏目漱石がかつて学んだ錦華小学校がありました。
錦華小学校は、1993年4月に小川小学校・西神田小学校と併合し、現在は千代田区立お茶の水小学校になりました。
お茶の水小学校は現在、令和5年度の竣工を目指して新築工事を行っています 。
神幸祭の行列は淡路町交差点を右に曲がり、靖国通りを巡行しています。
神田小川町から駿河台下に通 じる靖国通りに、スポーツ店が集積し始めたのは、第2次大戦後からといわれています。
現在のミズノ・ミナミ・ヴィクトリアを中心にして、半径500メートル以内に、スポーツ店が約50店舗近く集まり、現在のような世界でも類をみない「スポーツ店のメッカ」となりました。
1995年3月に小川町から駿河台下の主に靖国通りに位置する約60店舗が「神田スポーツ店連絡協議会」をつくり、同時に1995年から毎年10月に「神田スポーツ祭り」を企画し、街を挙げて魅力のあるスポーツ街づくりへの取り組みを継続しております。
ご当地プロレス・神田プロレスもやっていますよ!
また、カレーの街としても有名で、神田小川町界隈には100店舗を超すカレー店が営業を行なっております。
2011年からは、さまざまな神田のカレーの魅力を味わっていただこうと、地元カレー店の協力のもと「神田カレーグランプリ」を開催しております。
日本有数のスポーツ用品店街、カレーの街を通り、猿楽町へ向かいます。
神幸祭行列は神田明神を出発昌平橋を通過中です。
東京の中心、108の氏子町会を巡る長い道のりがいよいよ始まりました!!
行列が神田明神を出発しました!
鳶頭衆による木遣りの高らかな声を先頭に、三基の鳳輦・神輿、諌鼓山車、獅子頭山車をはじめとした1000名近い大行列が続々と明神坂鳥居前を通過中です。
これより、約30キロにわたる東京都心の氏子町会(神田、日本橋、秋葉原、大手町・丸の内、秋葉原)を巡行がスタートします。
午前8時をまわり、境内では神幸祭の出発を告げる「発輦祭(はつれんさい)」が行われています。
神職、氏子総代はじめ祭典委員、鳶頭衆、日本伝統の装束姿をした供奉者ほか、神幸祭へ奉仕する人々が参列し、三基の鳳輦・神輿の道中安全を祈願しております。
一の宮・大己貴命(おおなむちのみこと)は、通称だいこく様のお乗り物です。
だいこく様は縁結び、夫婦和合、国土開発・経営、医療・医薬の神様です。
大国主命(おおくにぬしのみこと)とも言います。
この鳳輦は昭和27年、かつて大正11年(1922)に新調された大鳳輦をモデルにして作られました。
戦後初の神田祭神幸祭に出されました。写真が大正11年に新調された鳳輦です。
そして、今回の令和元年の神田祭開催に合わせて、修復が行われ神々しい姿になりました。
二の宮・少彦名命(すくなひこなのみこと)は、通称えびす様のお乗り物です。
えびす様は商売繁昌、医薬健康、開運招福の神様です。
この神輿は昭和48年に日本橋三越本店より創業300年を記念して奉納されました。昭和50年より神幸祭で巡行しています。
令和5年は、明治7年に少彦名命のご分霊を茨城県・大洗磯前神社より遷座して、150年になります。
これを祝って、今回の神田祭は「少彦名命御奉祀150年記念」の大祭として行います。
4月に発刊された、髙見澤俊彦さんの小説『特撮家族』は神田明神を舞台にしていますが、この少彦名命が大活躍します!是非読んでみてください!
三の宮・平将門命(たいらのまさかどのみこと)は、通称まさかど様のお乗り物です。
この鳳輦は、昭和59年に平将門命が御祭神として正式に復座されたのを機に、昭和62年氏子の浄財により江戸時代の将門命がお乗りしていた二の宮入母屋造の神輿を元に調製されました。
只今、社殿前では「一の宮鳳輦」「二の宮神輿」「三の宮鳳輦」三基の鳳輦・神輿の飾り付けが行われています。
午前8時に行われる、「発輦祭(はつれんさい)」に向け、飾り付け作業が進められています。
午前5時を過ぎました。
神田明神にて、神職、宮鍵講、御防講の奉仕による、「御鍵渡しの儀(みかぎわたしのぎ)」が行われました。
この神事で宮鍵講員により鳳輦・神輿奉安庫の扉が開かれ、社殿前の正面に鳳輦と神輿が奉安されます。