神田駅東地区連合 鍛冶町二丁目町会

25.05.11

【町会の特徴】
「鍛冶町【かじちょう】 」という名称は、江戸時代、この地域に鍛冶職人が多く住んでいたことに由来します。
​特に、幕府の鍛冶方棟梁【かじがた とうりょう】であった高井伊織【たかい いおり】が屋敷を構えていたことから、
多くの鍛冶職人が集まり、町が形成されました。​
高井家は、相模【さがみ】 、武蔵【むさし】 、安房【あわ】 、上総【かずさ】、下総【しもうさ】 、常陸【ひたち】 、
上野【こうずけ】、下野【しもつけ】の「関八州【かんはっしゅう】 」の鍛冶頭を務めており、その影響力は大きかったとされています。

ここ、二丁目界隈は金物のなかでも、とくに刀や薙刀【なぎなた】といった打物を扱う業者が多かったのが特徴です。

昭和8年の区画整理で、黒門【くろもん】町、上白壁【かみしらかべ】町、下白壁【しもしらかべ】町、
鍛冶町二丁目等が統合され、「神田鍛冶町二丁目」となりました。
昭和22年、麹町区と神田区の合併により千代田区神田鍛冶町二丁目となりました。

近代科学の大先覚者、平賀源内【ひらが げんない】が29才で初めて江戸に出て家を持ったのがこの町であり、
生涯を通して最も長く住んだ町であると言われています。

この町会には、純金地金【じゅんきん じきん】の精製や貴金属工業用品の製造などで高い技術を誇る
徳力【とくりき】本店があります。
その確かな技術、伝統と信頼で「金は神田の徳力【とくりき】 」と言われています。
元々は300年程前に幕府の命により金銀を改鋳【かいちゅう】し始め、今でもジュエリーや金工芸品など、
幅広い分野で貴金属製品を取り扱っています。
町会の該当区域は鍛冶町二丁目全域となっています。

【神輿の特徴】
鍛冶町二丁目町会の神輿は、昭和9年、神田神社の再興に伴う祭礼に併せて、
宮大工【みやだいく】の手により作られました。
大きさは、台輪【だいわ】寸法2尺6寸です。総欅【そうけやき】作りの傑作の神輿です。