
【町会の特徴】
東京・秋葉原の東側、昭和通りにほど近い一角。そこに、ひときわ歴史を感じさせる名が残されています。神田佐久間町三丁目【かんだ さくまちょう さんちょうめ】 、この町には、時代のうねりの中で、江戸から続く人々の暮らしと誇りが、今も静かに息づいています。
町名は1744年(延享【えんきょう】元年)来、日本橋本材木町【にほんばし ざいもくほんちょう】の材木商人であった
佐久間平八【さくま へいはち】が移住したことに由来します。
江戸の商いと職人文化の粋が詰まった町。佐久間町は、浅草橋や日本橋と連携し、江戸の物流と経済を支える要所でもありました。
やがて時は流れ、明治。鉄道が開通し、秋葉原駅が誕生しました。佐久間町三丁目はその東側、駅に隣接する町として物流と商業の最前線となっていきます。
1923年(大正12年)の関東大震災時、住民総出のバケツリレーで延焼【えんしょう】を防ぎ町を守った伝説は有名です。
昭和に入り、戦争と空襲によって町は焼け野原に。しかし、戦後の復興とともに、再び人々の暮らしが息を吹き返します。佐久間町三丁目には、商店、オフィス、住宅が立ち並び、多様な顔をもつ町として再生されました。
高度経済成長期、秋葉原は“電気の街”として世界に名を知られるようになり、佐久間町もその一角を担い、電機部品やパソコンパーツ、さまざまな商いが集まりました。
町が変わっても、守り続けるものがある。 人と人との絆。 地域の心。神田佐久間町三丁目は、江戸の面影を未来へつなぐ、静かな語り部なのです。
【神輿の特徴】
神田佐久間町三丁目町会の神輿は、昭和32年に後藤 直光【ごとう なおみつ】
の手により生み落とされました。
豪快で、元気いっぱいの担ぎっぷり、ご注目ください!
【子ども神輿】
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