
【町会の特徴】
東京都千代田区、秋葉原の東に広がる静かな一角。そこに、時代を超えて受け継がれてきた町の名があります。神田和泉町【かんだ いずみちょう】。そして、この地を見守り続けてきたのが神田和泉町々会です。
その名の由来は、江戸時代。 この一帯には、和泉守【いずみのかみ】と称された武士の屋敷がありました。やがてその屋敷地が町人に払い下げられ、町が生まれたのです。
江戸中期、和泉町【いずみちょう】には、表具師、鋳物師【いもじし】 、筆職人、印刷業など、手仕事に生きる人々が暮らしていました。神田の町らしく、商いと職人文化が交差し、路地には人情と活気が満ちていたといいます。
神田川にほど近いこの町は、物流にも恵まれていました。
舟運【しゅううん】と陸路が交差する場所。 和泉町は、“暮らしを支える町”として、人々の営みを支えてきました。
明治維新の後、町は再び姿を変えます。 町名が整備され、印刷所や小規模工場が建ち並ぶ近代の町工業地帯として発展。秋葉原駅の開業により、さらにこの地は東京の物流と商業の結節点【けっせつてん】となっていきました。
昭和二十年――東京大空襲。 和泉町もまた、その猛火に焼かれました。
けれども、町の人々は立ち上がり、瓦礫の中から再び、暮らしの灯をともしたのです。
戦後、復興とともに誕生したのが、神田和泉町々会【かんだ いずみちょうちょうかい】 。町の安全を守るため、世代を超えたつながりを大切にするため、この町会は、地域の“心の拠りどころ”として生まれました。
そして今。 神田和泉町々会は、神田明神の御祭礼【ごさいれい】や町内行事を通じて、江戸から続く文化と心意気を、
静かに、しかし、確かに受け継いでいます。
【神輿の特徴】
神田和泉町町会の神輿は秋葉原地区では一番の大きさを誇ります。
その大きさたるや、2尺5寸、重さは500キロにも達します!
当町会を愛して止まない担ぎ手350〜400人で宮入を行います。
必見ポイントは社殿前【しゃでんまえ】です。
前に進もうとする担ぎ手衆と、それを押さえようとする、町会青年部との間の攻め技合いです。
是非ご堪能ください。
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