
【町会の特徴】
東神田三丁目【ひがしかんだ さんちょうめ】 、今ではオフィスと住宅が立ち並ぶこの町も、かつては江戸の下町として、
商いと職人の技にあふれていました。
“神田”とは、江戸の町人文化を象徴する地。東神田の一帯は、商人や職人、町人たちが暮らす“町人地【ちょうにんち】”として栄え、物流の拠点、
日本橋や浅草橋と結ばれた江戸の商業の交差点でもありました。
このあたりには、染物師や印刷職人、鳶【とび】 、左官【さかん】など、数多くの手仕事の匠【たくみ】たちが暮らしていました。火事に備えた町火消しも、神田の誇り。“江戸っ子気質”が息づく場所でもあったのです。
明治維新ののち、“町名改正”により新たに名づけられた『東神田』。神田地域の東側、隅田川にほど近いこの地は、鉄道の発展とともに、東京の物流と工業の中心地として、再びその姿を変えていきます。
町には印刷や金物、革細工といった新たな職人たちが集まり、暮らしと産業が調和した“まち”が育っていきました。
しかし、昭和20年――東京大空襲。多くを焼失した町は、再び一からの出発を強いられます。それでも、人々は手を取り合い、復興を進めました。
そして現代。『東神田三丁目町会』は、地域の絆を支える住民自治の柱として、防災、防犯、美化、子育て支援、そしてお祭りと、人と人とのつながりを大切に育み続けています。
神田の誇りは、今も脈々と東神田三丁目の町会に受け継がれています。
【神輿の特徴】
光り輝く神輿に御注目下さい。
東神田三丁目町会の神輿は神輿師の製作ではなく、宮大工により造られました。
総勢300名での宮入となります。
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