
【町会の特徴】
江戸時代、この地域には金属加工に従事する職人が多く居住していました。『武鑑【ぶかん】 』という資料によれば、
文化年間(1804~1818年)には、多くの金属加工職人がこの町内に住んでいたことが記録されています。
特に、幕府の鍛冶方棟梁【かじがた とうりょう】であった高井伊織【たかい いおり】が屋敷を構えていたことから、
多くの鍛冶職人が集まり、町が形成されました。
高井家は、相模【さがみ】 、武蔵【むさし】 、安房【あわ】 、上総【かずさ】、下総【しもうさ】 、常陸【ひたち】 、
上野【こうずけ】、下野【しもつけ】の「関八州【かんはっしゅう】 」の鍛冶頭を務めており、その影響力は大きかったとされています。
鍛冶町【かじちょう】は、慶長8年(1603)の市街地造成の際につくられた町屋です。
多くの鍛冶師【かじし】 、鋳物師【いもじし】 、釜師【かまし】などが集まって
築城用【ちくじょうよう】金物をはじめとし、建築用金具、鐘、鍋、釜などを製造する一大工業地帯となっていました。
鍛冶町は、江戸時代の武士や庶民にとって必要不可欠な金属製品を提供し、日常生活を支え続けた町でした。
鍛冶町一丁目は、JR神田駅に近接する商業地域として発展しており、多くの商業施設やオフィスビルが立ち並んでいます。
また、飲食店や居酒屋も多く、賑わいを見せています。
このように、鍛冶町一丁目は、江戸時代から続く鍛冶職人の町としての歴史を持ちながら、現在も商業の中心地としてその役割を果たしています。
町会の該当区域は、鍛冶町【かじちょう】一丁目全域となっています。
【神輿の特徴】
鍛冶町一丁目町会の神輿は神田明神の氏子町会の中で、数少ない入母屋造り【いりもやづくり】の神輿の一つです。
総勢300名の担ぎ手により宮入を行います。
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