
【町会の特徴】
神田紺屋町【かんだ こんやちょう】は、慶長【けいちょう】年間に徳川家康から
軍功【ぐんこう】として藍染め【あいぞめ】の権利を与えられた紺屋頭【こんや がしら】、
土屋五郎右衛門【つちや ごろうえもん】が支配していた江戸古町【えど こまち】の一つです。
紺屋【こんや】とは、布を染める職人、またはその家業を指す言葉です。特に“紺”という字があらわすように、藍で染める“藍染め”の職人が多く、江戸時代には、その専門集団が暮らす町が、
紺屋町【こんやちょう】と呼ばれるようになったのです。
城下町では、火災や疫病を防ぐため、同じ職業の人々を一か所に集めて住まわせる“町割り”がなされていました。火を使わず、水を多く使う紺屋たちは、川沿いや水路の近くに居を構え、町全体が一つの工房のように機能していたのです。
庶民が着る浴衣、武士の羽織、商家の暖簾【のれん】 、祭りの法被【はっぴ】、紺屋の仕事は、暮らしのあらゆる場面に溶け込み、人々の美意識を育んできました。
文明開化の波とともに、西洋の染料や工業技術が日本に入り込みます。化学染料の登場により、早く、安く、大量に染めることができるようになると、長い時間をかけて染める伝統の紺屋【こんや】たちは、
徐々にその姿を消していきました。
戦後、昭和の高度経済成長期に入り、町は大きく様変わりします。商店や住宅が立ち並び、かつての染めの町は、静かに記憶の中へと姿を変えていきました。
【神輿の特徴】
紺屋町南町会の神輿は、平成11年、町会員の飯田昭次郎【いいだ しょうじろう】の手により
作られました。
紙と木で作られた神輿です。
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