
【町会の特徴】
江戸時代、この地域は八方から道が集まる「八つ小路」と呼ばれ、神田川や日本橋川などの運河に挟まれた交通の要所でした。
明治時代以降は、都電の一大ターミナルとして発展し、日本橋から上野や本郷へ、神田から上野へ向かう交通の要衝となりました。
昭和20年2月22日と3月10日の東京大空襲では、東京の東半分がほぼ焼き尽くされましたが、須田町二丁目は町の人々が一致団結して
防火にあたったため、町内の大半は戦火をまぬがれることができたと言われています。
戦後、この地域には羅沙【ラシャ】(厚手の毛織物)の切り売りを生業とする業者が集まり、一時は日本一といわれるほどの繁盛を見せました。
近年、羅沙【ラシャ】屋さんにIT企業も加わり、老若男女で活気ある町となっています。
神田須田町二丁目は、神田明神の氏子地域と柳森【やなぎもり】神社や下谷【したや】神社の氏子地域が混在しています。
神田明神と柳森【やなぎもり】の本祭りは奇数年の5月に行われ、町会の神輿は両社まで渡御します。
また、偶数年には下谷【したや】神社の本祭りがあり、平成26年(2014年)には、町会神輿が下谷神社に渡御するようになりました。
今でもこの須田町に住む人々は、お祭り以外にも、様々な町内イベントを行っており、伝統・文化を守り続けていく町会です。
町会の該当区域は、須田町二丁目全域となっています。
【神輿の特徴】
神田須田町二丁目町会の神輿は、日本の発展、復興を願い、神田明神本社の神輿も手がける
神輿師、『宮惣【みやそう】』の手により、約80年振りに新調しました。
大きさは二尺八寸(従前の神輿は二尺三寸)、延屋根【のべやね】造り、総彫【そうぼり】、
総彩色【そうさいしき】の神田唯一の神輿です。
町内の柳囃子社中【やなぎばやし しゃちゅう】を先頭に、五百名を越える担ぎ手のより宮入します。
新調した神輿と、一致団結した担ぎ手の『技』に注目してください。
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