岩本町・東神田地区連合 岩本町三丁目町会

2019年05月12日 11:41
【町会の特徴】
岩本町は「旧岩本町と東龍閑町と東松下町の一部」が合併して、昭和8年に誕生しました。
 
江戸時代の初め、この界隈は沼地で、雁渊や笹原と呼ばれていました。

この地域に最初に住んだのは、大名や旗本などの武士たちでした。
江戸時代の後半になると、商人や職人で町も栄えはじめます。
さらに神田川の南側の柳原土手の周辺では、古着を扱う露店が集まるようになりました。

その伝統は、明治維新後も引き継がれました。
明治14年(1881)、現在の岩本町三丁目の一部から神田岩本町の一部にまたがる古着の大市場が開設されます。
「岩本町古着市場」と呼ばれたこの市場には、多いときには400軒もの古着屋が軒を連ねていたといわれています。

その後は、戦前、戦後を通じ既製服の一大集散地となり、全国のデパートや小売店にはこの町から出荷された商品が並びました。

現在は数こそ少なくなってきましたが、岩本町三丁目を支え、町の礎を築いてきたのは繊維業者であり、岩本町は日本の繊維業界とともに発展してきた町です。 

町会の該当区域は、岩本町三丁目及び神田岩本町全域となっています。

【神輿の特徴】
岩本町三丁目町会の神輿は、東京浅草の当代一級の神輿師、宮本 重義氏の第一号特注品です。昭和28年5月に完成しました。台輪幅は2尺5寸、高さは7尺8寸になります。
作風は唐破風漆塗神社型、鳥居他、昇り龍、降り龍彫刻、極彩色仕様となっています。
豪華絢爛で神田明神氏子百八ヶ町でも最高の傑作となっていると自負しています。

IMG_3698

IMG_3701

子供神輿
IMG_3694

岩本町・東神田地区連合 東神田豊島町会

2019年05月12日 11:26
【町会の特徴】
豊島という町名の由来は、町奉行が「この一帯が属している豊島郡には豊島村という地名がすでにあるが、それとは別に豊島町という町名があってもいいだろう」として名付けられたという説があります。

江戸時代、このあたりには「比丘尼横丁」や、髪油として美男葛の油を売る店もあったことから俗に「桂横丁」と呼ばれた通りもありました。
そのほか、銘茶屋、菓子屋、水油仲買等がありました。

明治になると、旅館、砂糖商等が集まり、大変賑わっていました。
その賑わいが現在にも続いていて、大変活気のある町会となっています。

当町会の該当区域は、東神田一丁目6〜11番地、東神田二丁目1〜7番地、岩本町三丁目6番地8〜13号、14号の一部、11番1・2・3号の一部となっています。

【神輿の特徴】
当町会の神輿は浅子 周慶によって造られました。
台座2尺9寸となっています。
濃緑色加工を施した渋めの大鳥(鳳凰)に特徴があります。
総勢300名の担ぎ手により宮入を行います。

IMG_3684

IMG_3687

岩本町・東神田地区連合 東神田町会

2019年05月12日 11:15
【町会の特徴】
当地は江戸時代から大正12年9月1日発災の関東大震災に至るまでは、神田橋本町・江川町・久右衛門町、それに富松町の4カ町で構成されていました。大震災で焼土と化した為にその後大規模な区画整理の対象地となり、昭和9年、橋本町・江川町・久右衛門町を東神田1丁目、富松町を東神田2丁目として「東神田町会」は起立し、今年で創立80周年を迎えます。さて、太平洋戦争を経て戦火で再び焼土と化した当地は戦後の経済復興の特需景気も当て繊維関連の現金問屋やその関連事業の集積地として伸長していきました。しかしながら、経済発展と共に建物のにビル化が進み、逐次、オフィス商業ビルへと立て替え更新していきました。その後、経済の構造変化はこの地にも及び、繊維関連の商社に転、廃業が進み平成の初年のことからその跡地にマンションと称する集合住宅が建設される様になりました。これは固定資産税や相続税の高騰に伴う人口流出に区の存立を危ぶむ千代田区の弥縫策(びほうさく)と申すべき、規制緩和からオフィス商業ビルの歯止めが掛かりました。平成6・7年頃から中高層・集合住宅の建設が著しく、今では当町内に約二十数棟の所謂マンションと称する建物の林立を見ることになりました。そこで(従って)、当地に昔からの地付きの原住民と称する人々は漸次通減していく事は、神田、他地域の町会と同じ悩みでは有るが、マンションに居住する新たな住人と、何とか折り合って、新たな町会を構築して行く事が、今後、我々に貸された最大且つ困難な懸案であり宿題でしょう。祭礼も当然この変化に対応せざるを得ない事であろうと思えます。

【神輿の特徴】
この神輿は、昭和29年に竣工され、行徳浅子周慶作の台輪寸法2尺7寸の東神田型です。
昭和29年の作ながら名品の9要件は備えています。堂部の極彩色に目を見張るものがあり、堂嵌は唐獅子に牡丹華で「獅子の子落し」を表現しています。牡丹華も背景の紫雲も、繧繝彩色(うんげんさいしき)を施し、立体感を出し、華弁や葉端に金彩を施します。欄間(らんま)には菊花をあしらいます。都合15の華を配しますが、皆、別花です。境内に前後2対の狛犬は珍しいと思われます。木鼻4対の彩色獅子の鼻の内、正面のみ一対内側に向き合っています。扉脇の昇・降龍も阿吽相和し、降龍を玉持ちにしています。屋根裏の垂木や桝組に金箔を押し、扇垂木は木地師の真骨頂です。

鳥居は囲垣から独立したもので、これに金白花檀塗を施しています。これは大変に珍しいものです。屋根に羽ばたく鳳は、いわゆる浅子周慶型で、
国宝、宇治、平等院鳳凰堂の屋根飾で、日銀券の1万円裏のデザインと同じものです。鳳の足下に古風な桝形露盤側面に東神田と陽刻してあります。露盤から四方隅に走る野筋雲紋透し、金具を冠せ中央に燻し、銀金具で押さえています。屋根端の吹返し、あるいは、賽銭受けも厚手の金具に地彫の龍を走らせ、長押(なげし)、下長押、基段の亀腹(かめばら)堂柱の地板金物に透かしの青海波(せいかいは)紋様を施します。これは水の象徴としての「波」で、この神輿を火の手から守る意味があります。台輪の角金物を枠に紗綾形ですっきり纏め、台輪棒穴の中を箱造りにして親棒の挿込みを容易に出来ます。以上、縷々多弁を弄し申し訳無し。
 最後に、この神輿は、平成19年9月1日、神田明神様の御社頭でNHK,美の壺のクルーによる収録を受け、10月5日「美の壺、 File 64.神輿」として放映された事を付記します。

IMG_3679

IMG_3682

岩本町・東神田地区連合 岩本町一丁目町会

2019年05月12日 11:04
【町会の特徴】
岩本町一丁目は、かつて東福田町、材木町、東今川町、亀井町の4つの町に分かれていました。

これらの町は昭和40年7月の住居表示の実施により、合併して現在の「岩本町一丁目」になりました。かつて町内を流れていた「竜閑川」は終戦後に三度埋められ、現在に至りますが、江戸の頃より変わらないのは、この川筋を神田と日本橋の境界としていたことです。
現在は千代田区と中央区の区境となっています。

町の北側を通る「金物通り」の名前が示すように、かつては金物問屋が軒を並べて、竜閑川を利用した木材の運搬とともに物流の中核地でした。

町会の該当区域は、岩本町一丁目全域となっています。

【神輿の特徴】
岩本町一丁目町会の神輿は昭和31年、市川行徳の神輿師、十四代浅子 周慶により造られました。
台輪寸法2尺3寸の大神輿で、黒漆塗りの屋根には神田明神の御神紋が光ります。
約300人の担ぎ手により宮入りを行います。
宮入後、秋葉原中央通り「おまつり広場」に参加します。

IMG_1237

IMG_1247

日本橋一地区連合 室町一丁目会

2019年05月12日 10:53
【町会の特徴】
室町一丁目会は、昭和7年に、「旧室町一丁目・二丁目」等の町が合併して、室町一丁目となりました。

日本橋魚河岸、呉服屋、両替店が栄え、現在にまで至り、老舗となっている店も多く、商業・金融の中心地となっています。
 
室町一丁目内にある「三越」は、延宝元年(1673)に越後屋号で旧本町一丁目に店を出し、「店前現銀無掛値」の看板を掲げ、現金による正札販売商法と、切り売り商法の新商法によって今日になすまでとなりました。

明治37年「三井の越後屋」を二字につめて「三越」と改めたと言われています。

遠方のため神社への宮入は行っていなせんでしたが、平成17年より、町会長を中心とした日本橋会の皆様の協力によって宮入ができるようになりました。

町会の該当区域は、日本橋室町一丁目全域となっています。

【神輿の特徴】
総勢300名の担ぎ手により宮入を行います。大神輿は昭和13年、後藤 直光作です。
大きさは2尺8寸、平屋台、三方胴羽目です。
扇木や厚手の鋳物、彫金で細工され、木彫を施さない神輿です。
鳳凰の翼が大きく、首が長いことも特徴の一つです。

宮入の後、境内右側にある水神の山車の前で、魚河岸会の皆様へあいさつのみこし振りを行うのでそちらもご注目ください。

IMG_1222

IMG_1233

外神田地区連合 宮本町会

2019年05月12日 10:43
【町会の特徴】
宮本町は、明治2年(1869)に神田明神門前町となった後、明治5年(1872)には境内などの社地を編入して、神田宮本町となりました。
江戸総鎮守のお膝元で生活することを誇りとする住民の心意気が形になった名前です。

宮本町には、明治10年(1877)創業、開花三十六席にも選ばれた「開花楼」がありました。
ここは海抜40メートルの高台に建っており、見晴らしの良さと江戸前の料理が好まれ、通人、粋人が集う場所として知られ、東京名所図会など、多くの書物に残されています。
また、単に料理屋として著明であるばかりではなく、書画店や古書市、見本市等、当時としては貴重な文化事業が再三開催されました。

明治の国学者、福羽 美静が開花楼の全盛を詠んだ詩を紹介します。
「にぎわしき 花の都のその花を 見れば心も また開けつつ」

町会の該当区域は、外神田二丁目16〜19番地、7番1号・4号の一部となっています。

【神輿の特徴】
宮本町会の神輿は、子供神輿として出します。
本年は神田明神の中神輿を担いで宮入いたします。

昭和35年、宮惣の製作によるものです。迫力があり、熱気あふれる、力強い担ぎっぷりにご注目下さい。

IMG_1211

IMG_1215

外神田地区連合 神田末廣町会

2019年05月12日 10:32
【町会の特徴】
末広町は、明治2年(1869)に「神田平永町・神田山本町・柳原岩井町・麹町平川町の各代地」七カ所を合併し、設立しました。
さらに十数件の武家地を吸収してその町域を大きくしました。

末広町と五軒町(現在の末広町交差点付近)にあった堀家の辻番所は、
御府内随一との評判でした。
辻番と言えば、川柳に『辻番は生きた親父の捨て所』とあるように、大概、老人と決まっていました。
しかし、この辻番所では番人を雇う際に、武芸の心得のあるものを厳選して選考し、
日々稽古を怠る事がなかったと言われています。
事件があれば六尺棒で応戦し、逃亡者がいればその棒を投げて足に絡ませて倒していたそうです。

また、明治元年(1868)5月の新政府軍と彰義隊との戦い(上野戦争)の始まりは、
この辻番所前で開かれたものである、と言われています。

町会の該当区域は、外神田三丁目5〜10番地、及び14〜16番地となっています。

【神輿の特徴】
大正15年、神田名匠、「だし鉄」作の神輿です。
大きさは2尺3寸です。
屋根金梨造りで、神田神社氏子町会で現存する神輿の中では一番古い神輿です。

IMG_1198

IMG_1207

外神田地区連合 神田五軒町々会

2019年05月12日 10:22
【町会の特徴】
「五軒町」の名前の由来は、江戸時代、この界隈に、上総久留里藩黒田家上屋敷、下野黒羽藩大関家上屋敷、安房勝山藩酒井家上屋敷、播磨林田藩建部家上屋敷、信濃上田藩松平家下屋敷と、5つの大名屋敷が並んでいたことから名付けられました。

明治維新の時に政府によってこれらの屋敷は召し上げられ、明治5年(1872)に、この地は神田五軒町と名付けられました。
その後、人家が立ち並ぶようになり、てんぷらの店や寄席などができ、町は賑わいました。
 
明治44年(1911)には、町名から神田が外され「五軒町」となりましたが、昭和22年に神田区と麹町区が合併して千代田区になると、ふたたび神田五軒町に戻りました。
そして、昭和39年、住居表示の実施に伴って外神田六丁目となりました。

町会の該当区域は、外神田六丁目3番地5・6号、4〜16番地となっています。

【神輿の特徴】
神田五軒町々会の神輿は、昭和52年に作られました。
屋根唐破風型白木造り総彫刻です。
重さ約300キロ、台座2尺3寸(約70cm)、高さ6尺8寸(約200cm・鳳凰を含む)、幅4尺7寸(約150cm)、親棒の長さ16尺(約500cm)という大神輿です。
数年前、約30年振りに総仕上げ直しをし、美しく輝いた神輿へと生まれ変わりました。
担ぎ手総数は350名余りです。

IMG_1182

IMG_1192

子供神輿
IMG_1194

外神田地区連合 神田旅籠町会

2019年05月12日 10:12
【町会の特徴】
神田旅籠町は、昌平橋の北側にあたり、中山道の第一の宿場である板橋宿、日光御成街道の宿場町である川口宿への街道筋として、旅籠が数多く立ち並んでいたため、「旅籠町」と呼ばれるようになりました。
「日光御成街道」は、江戸幕府の徳川将軍が日光参拝の際、必ず通った街道で現在の国道122号にほぼ相当します。
こうした重要な街道の拠点となる町が旅籠町だったのです。
そして「旅籠」とは、江戸時代、旅人を宿泊させ食事を提供させることを生業とする家のことであり、旅籠屋の略でした。
旅籠という言葉自体はもともとは、旅の時に馬の飼料を入れる籠の意味が、旅人の食物雑品を入れる籠の意味になり、さらに転じて宿屋で出される食事の意味になり、食事を提供する宿屋というようになりました。

また、この土地には有名な寺子屋の、「芳林堂」がありました。
芳林堂は、有馬藩士 金子政成が安政4年(1857)に開業しました。
その後、火災にあって旅籠町に移ってきました。
芳林小学校(現在の昌平小学校)の名前も、この芳林堂に由来していると言われています。
現在この地は、日本の最先端を行くIT産業のメッカとなっています。
 
町会の該当区域は、外神田一丁目1番地5〜7号、3番地、4番地1〜8号、18〜23号、5〜9番地及び外神田三丁目1・12・13番地となっています。

【神輿の特徴】
神田旅籠町会の神輿は昭和33年に南部屋 五郎右衛門によって作られました。
平成17年3月13日に神輿を、2尺5寸から2尺7寸へと大きくし、ますます迫力を増しました。
総勢300名の担ぎ手により、宮入りします。

IMG_1170

IMG_1178

外神田地区連合 神田金澤町会

2019年05月12日 10:01
【町会の特徴】
かつて金澤町と呼ばれていたこの地域は、神田明神下にあり、御成街道に沿った町屋でした。
1657年の明暦の大火以前は東本願寺の境内地でした。
その後は加賀金澤藩前田家の中屋敷となりました。
加賀藩は、藩主の居城が現在の金沢(石川県)にあったことから「金澤藩」ともいわれていました。
つまり、外神田三丁目に「金澤」という町名が伝わるのは、かつて加賀藩の藩邸があったからであると言われています。

前田家の上屋敷は、天和2年(1682)の火事で類焼し、幕府に没収されます。
その翌年になると、湯島一丁目の職人や商人たちがそこに代地を与えられて移転してきましたが、金沢という町名はそのまま受け継がれていきました。

商人や職人の町として発展を続けた金澤町には、多種多様な店があったようで、文政7年(1824)に書かれた「江戸買物独案内」には、「やけど妙薬」で知られた田村万兵衛、「鼻紙袋」や「煙草入れ」を扱う津久田屋、瀬戸物問屋である玉川卯兵衛といった商人たちの名前が記載されています。

町会の該当区域は、外神田三丁目2・3・4・11番地となっています。

【神輿の特徴】
神田金澤町会の神輿は昭和36年に宮本 重義により作られました。美しい神輿、迫力の担ぎぶりをご堪能下さい。

IMG_1155

IMG_1166

岩本町・東神田地区連合 岩本町三丁目町会 2019.05.12

【町会の特徴】 岩本町は「旧岩本町と東龍閑町と東松下町の一部」が合併して、昭和8年に誕生しました。   江戸時代の初め ...

岩本町・東神田地区連合 東神田豊島町会 2019.05.12

【町会の特徴】 豊島という町名の由来は、町奉行が「この一帯が属している豊島郡には豊島村という地名がすでにあるが、それと ...

岩本町・東神田地区連合 東神田町会 2019.05.12

【町会の特徴】 当地は江戸時代から大正12年9月1日発災の関東大震災に至るまでは、神田橋本町・江川町・久右衛門町、それ ...

岩本町・東神田地区連合 岩本町一丁目町会 2019.05.12

【町会の特徴】 岩本町一丁目は、かつて東福田町、材木町、東今川町、亀井町の4つの町に分かれていました。 これらの町は昭 ...

日本橋一地区連合 室町一丁目会 2019.05.12

【町会の特徴】 室町一丁目会は、昭和7年に、「旧室町一丁目・二丁目」等の町が合併して、室町一丁目となりました。 日本橋 ...

外神田地区連合 宮本町会 2019.05.12

【町会の特徴】 宮本町は、明治2年(1869)に神田明神門前町となった後、明治5年(1872)には境内などの社地を編入 ...

外神田地区連合 神田末廣町会 2019.05.12

【町会の特徴】 末広町は、明治2年(1869)に「神田平永町・神田山本町・柳原岩井町・麹町平川町の各代地」七カ所を合併 ...

外神田地区連合 神田五軒町々会 2019.05.12

【町会の特徴】 「五軒町」の名前の由来は、江戸時代、この界隈に、上総久留里藩黒田家上屋敷、下野黒羽藩大関家上屋敷、安房 ...

外神田地区連合 神田旅籠町会 2019.05.12

【町会の特徴】 神田旅籠町は、昌平橋の北側にあたり、中山道の第一の宿場である板橋宿、日光御成街道の宿場町である川口宿へ ...

外神田地区連合 神田金澤町会 2019.05.12

【町会の特徴】 かつて金澤町と呼ばれていたこの地域は、神田明神下にあり、御成街道に沿った町屋でした。 1657年の明暦 ...