
19:30からは室町一丁目会の神輿神霊入れにお邪魔してきました。
神輿神霊入れの前に、約1時間、加茂能人形山車行列が町会を周りました。
熱気溢れる山車行列の後、室町一丁目町会の神輿神霊入れが厳かに行われました。
日本橋三越の前で行われていたので、氏子町会の皆さまや関係者だけではなく、見物客もたくさん見に来ていました。
東京・日本橋の中心に位置する「室町一丁目(むろまちいっちょうめ)」は、歴史ある街並みと最新の商業施設が融合した魅力的なエリアです。
江戸時代から続く老舗や伝統工芸のお店が軒を連ねる一方で、「COREDO室町」などの現代的な商業施設も立ち並び、買い物やグルメ、文化体験が一度に楽しめるスポットとして注目を集めています。
神田祭の際にはこのエリアも祭りムード一色に包まれ、町内を練り歩く神輿や山車の姿を間近で見ることができます。
地域の人々によるおもてなしの心も感じられ、訪れるたびに新しい発見がある場所です。
明日の神幸祭と明後日の神輿宮入をライブ配信いたします。神田明神境内の配信スタジオから、MCが神田祭を実況いたしますので、みなさん楽しみにしていてくださいね。
11日(日)の神輿宮入では、ゲストに稲川淳二さんを迎え、神輿宮入の風景をお伝えいたします。
【10日神幸祭】15時ごろ〜終日
https://youtube.com/live/1onOpUnixBY
【11日神輿宮入】8時ごろ〜終日
https://youtube.com/live/ZhcQ1QdQ49g
こんにちは。
本日、 5月9日(金)は「氏子町会神輿神霊入れ」が各町会で行われています。
氏子町会神輿神霊入れは神田明神の神職が神酒所を訪れ、氏子108町会の大小約200基もの各神輿に神霊をお遷しする神事です。
17:30から行われた、多町一丁目町会の神輿神霊入れにお邪魔しました。
氏子町会の皆さまが集まり、無事に斉行されました。
神田エリアに位置する「多町一丁目(たちょういっちょうめ)」は、今もなお江戸の面影を残す、落ち着いた雰囲気の町です。
細い路地に老舗の飲食店や小さな商店が並び、どこか懐かしさを感じる街並みが特徴。地域に根ざした人々の暮らしや、古くから続くつながりが大切に守られている場所です。
大通りの喧騒から少し離れた、温かな人情と歴史が息づく多町一丁目。
散策にもぴったりのエリアです。
神田祭の際には、町内から神輿が繰り出され、担ぎ手たちの熱気で一気ににぎやかに。
町の人々の結束と祭りへの誇りが感じられる瞬間です。
今日から、神田日本橋の氏子地域は神田祭一色に染まります。
多町一丁目町会サイト
町会のお祭り情報も見られます!
https://ta1.daisuki-kanda.com/
神田祭の始まりを厳かに彩る神事、それが「鳳輦神輿遷座祭(ほうれんみこしせんざさい)」です。
祭りの喧騒とは一線を画すこの儀式は、神田明神の三柱の御祭神である、「大国様」「えびす様」「将門様」の御神霊をを本殿から鳳輦(ほうれん)と神輿に遷し、巡行に備える、神聖な行事です。
時刻は19時を回り、境内には幻想的な灯りがともり、張り詰めた空気の中で白装束(斎服、浄衣)を着た神職が祝詞を奏上し、御神霊が神輿へと遷されます。
張りつめた空気の中、境内には神職による警蹕の声と雅楽の音色が響き、松明の灯りに導かれ絹垣に包まれた御神霊が、鳳輦と神輿に御遷座されました。
担ぎ手や関係者も静かに見守り、まさに神事そのものの重みを感じられる時間です。
この瞬間こそが、神田祭の「はじまりの合図」。
華やかな祭りの影には、こうした厳粛な神事がしっかりと根づいていることが感じられます。
「令和7年 神田祭」は本日、 5月8日(木) 『鳳輦神輿遷座祭』から始まりました。
東京・神田の町を彩る、歴史あるお祭り「神田祭」。
約400年の歴史を持つこのお祭りは、日本三大祭、江戸三大祭の一つにも数えられ、
江戸の風情と現代の活気が融合する、まさに東京の“粋”を感じられるイベントです。
今日は天気もよく、絶好のスタートとなりました!!
今週の天気予報を見てみますと、本日11時発表の予報で、10日(土)神幸祭の日が「雨のち曇り」になっています…。他の日も曇りや雨予報が多いですが、この日も雨雲を吹き飛ばしていただきたいですね!
令和7年の神田祭の様子は5月10日(土)/11日(日)の『Internet TV 神田祭.ch』にて放送する予定です。
◆ 5月10日(土)神幸祭(しんこうさい)
神田明神の御神体を乗せた豪華な神輿や山車が、氏子108町を巡行する神幸祭は、神田祭のメインイベントのひとつ。
時代絵巻のような行列が街を練り歩き、沿道には多くの見物客が集まります。
◆ 5月11日(日)神輿宮入(みこし みやいり)
各町会の神輿が次々と神田明神に集結する、熱気と迫力に満ちた一日。
担ぎ手たちの掛け声が響き渡り、境内は活気に包まれます。町ごとの個性豊かな神輿も見どころです。
祭りの期間中は、神田、日本橋、秋葉原、丸の内などの広範囲にわたって、提灯や幟が立ち並び、まち全体が華やかに。
境内や周辺には屋台も並び、グルメや買い物も楽しめます。
本日、 5月8日(木)はこの後、19時から令和7年神田祭の最初の神事である、「鳳輦神輿遷座祭」が執り行われます。
その模様もこのブログでお伝えしますので、お楽しみにしていてください!!
多くの皆様のご視聴ありがとうございました。
13日・14日両日放送しました令和5年神田祭 神幸祭・神輿宮入は、アーカイブでご覧いただけます。
番組への感想は、mail@kandamatsuri.ch までお送りください。
【町会の特徴】
東日本橋二丁目町会はかつては両国と呼ばれていました。
両国と両国橋の西側の町に、明暦の大火後の万治2年(1659)に橋が架かり、交通上賑やかな地となりました。
火事の多い江戸に鑑みて二度と災害の悲劇を繰り返さぬ様にと各所に火除地を設けました。
両国にも中央区側に広小路が出来て、防火や避難に役立つ広場が設けられました。
いつの間にかこの空地を利用して軽業や見世物小屋が並び、水茶屋、喰べ物見世などで江戸で一番の賑やかで、華やかな場所になっていきました。
その賑やかさ・混雑ぶりは大変なもので、様々な本に出ているほどでした。
維新後は商店の並ぶ繁華な市街に変わって、面目一新した賑やかな商店街になっていきました。
また、米沢町は、多くは船宿の中心地であり、両国の川開きや花火と共に忘れることの出来ない町です。
米沢町から元柳町にかけては、船宿と共に有名な柳橋花街です。
これが両国の景況を明治になって支えていたといえます。
尚、平成15年には開府400年をお祝いして船渡御を挙行しました。
町会の該当区域は、東日本橋二丁目全域となっています。
【神輿の特徴】
東日本橋二丁目町会の神輿は、昭和35年、宮本重義により作られました。
宮入の熱気と迫力を感じてください!
【町会の特徴】
東日本橋三丁目橘町会は古くは橘町と呼ばれた地域で、昭和46年の住居表示実施で現町名になりました。
江戸の初期には西本願寺の別院やその末寺がありました。
この西本願寺別院は元和7年(1621)3月准如上人が創建したもので、江戸海岸御坊、と呼ばれたと言います。
明暦の大火で、お堂の建物は延焼し跡形もなくなり、築地に移転復興しました。
その跡地は松平越前守の邸地となり、天和3年(1683)の邸地移転に伴って、町地になりました。
西本願寺のあった頃、門前に立花を売る店が多かったので、町の名を橘町と付けたと言われています。
当町会は繊維関係の問屋が多く、今でも着物が似合う粋な旦那衆が町会を支えています。
町会の該当区域は、東日本橋三丁目全域となっています。
【神輿の特徴】
東日本橋三丁目橘町会の神輿は、昭和42年に新たに町会有志にて寄贈されたものです。
紺に染め抜いた青伴天の青年部とグレーの伴天の一般担ぎ衆、総勢150名により宮入を行います。
こども神輿
大人神輿
【町会の特徴】
1657年(明暦3年)、大火の後に伊勢津藩の藤堂和泉守の大邸宅と出羽鶴岡藩の酒井左衛門尉をはじめとした幕府諸役人の武家屋敷が建ち並んだこの地は、町の大部分を占めた藤堂和泉守の邸にちなんで「和泉町」と名付けられました。1868年(明治元年)、東京医学所が置かれ、後に大学東校、東京医学校等に改称され、現在の東京大学医学部の発祥の地となりました。また、1909年(明治42年)現在の三井記念病院の前身である三井慈善病院が設立されました。広大な和泉公園は1975年(昭和50年)農林省東京食料事務所跡地を4年間に及ぶ住民運動により獲得し、地域の憩いの場として整備したものです。
【神輿の特徴】
神田和泉町町会の神輿は秋葉原地区では一番の大きさを誇ります。
その大きさたるや、2尺5寸、重さは500キロにも達します!
当町会を愛して止まない担ぎ手350〜400人で宮入を行います。
必見ポイントは社殿前です。
前に進もうとする担ぎ手衆と、それを押さえようとする、町会青年部との間の攻め技合いです。
是非ご堪能ください。
こども神輿
大人神輿
【町会の特徴】
1744年(延享元年)来、日本橋本材木町の材木商人であった佐久間平八が移住したことに由来する佐久間町の中で、一番東に位置する町です。材木や炭、薪などを商う人々が多く住みついたこの地は、1869年(明治2年)、神田佐久間町四丁目元地、神田佐久間町四丁目裏地、神田富松町元地が合併して神田佐久間町四丁目となりました。1872年(明治5年)、江戸時代末期から隣接する武家地を編入して町は広がりました。1911年(明治44年)、いったんは神田を取り、佐久間町四丁目と町名を変更しましたが、1947年(昭和22年)、神田区と麹町区が合併して千代田区となるのを機に、再び神田佐久間町四丁目となりました。
【神輿の特徴】
神田佐久間町四丁目町会の神輿は昭和32年に浅子 周慶により作られました。キレイな彫刻、豪快な担ぎっぷりに是非ご注目ください。
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