
神幸祭行列は神田明神を出発昌平橋を通過中です。
東京の中心、108の氏子町会を巡る長い道のりがいよいよ始まりました!!
神田川にかかる「昌平橋(しょうへいばし)」は、神田と秋葉原の間に位置する、知る人ぞ知る歴史ある橋です。
名前の由来は、孔子の故郷「昌平郷」から。
江戸時代には、幕府の学問所「昌平坂学問所」が近くにあったことにちなんで名付けられました。
現在の昌平橋は、鉄道や車の通行量も多く、交通の要所として機能していますが、周囲には昔ながらの街並みや電気街の風景も広がっており、歴史と現代が交差するスポットでもあります。
神幸祭の際には行列がこの橋を通ることもあり、橋の上から鳳輦や神輿の姿を間近で楽しめる穴場的な見どころです。
秋葉原散策の際には、ぜひ少し足を延ばして「昌平橋」にも立ち寄ってみてください。日常の中にひっそりと残る江戸の香りを感じられますよ。
行列が神田明神を出発しました!
その壮麗な行列が神田明神を出発する瞬間は、まさに祭りの幕が開く感動の場面です。
鳶頭衆(とびがしらしゅう)による木遣りの高らかな声が境内に響き渡ると、いよいよ出発の合図。
神田明神の正面から、1000名近い大行列が荘厳に動き出します。
先頭には、神田明神の一の宮鳳輦(だいこく様)・二の宮神輿(えびす様)・三の宮鳳輦(将門様)が鎮座。
神職、巫女、氏子、古式ゆかしい衣装の人々が連なるその姿は、まるで時代絵巻。
町ごとに鳴り響く祭囃子や、お迎えの拍手に包まれながら、神様が“まちを見守り、福を届ける”旅が始まるのです。
この行列は、約30キロにもわたる東京都心の氏子町会(神田、日本橋、秋葉原、大手町・丸の内)を巡る壮大な巡行の始まり。町々では多くの人々が待ち受け、拍手や歓声で神様のお出ましを迎えます。
荘厳さと活気が交錯するこの神幸祭の出発は、まさに神田祭の「心」とも言える瞬間。
境内では神幸祭の出発を告げる「発輦祭(はつれんさい)」が行われています。
神田祭を彩る神幸祭。
その出発に先立ち、神田明神で執り行われるのが「発輦祭(はつれんさい)」です。
これは、御鳳輦・神輿が氏子地域へ向けて巡行を始める前の、重要な神事です。
神田明神の境内では、厳かな空気の中、宮司をはじめとする神職が祝詞を奏上し、祭礼の無事と地域の平安を祈願。
一の宮鳳輦、二の宮神輿、三の宮鳳輦の三基が、整列した氏子たちや関係者に見守られながら、いよいよ出発のときを迎えます。
発輦祭は、ただの出発式ではなく、神様が町へ“お出まし”になる第一歩。
その瞬間には、神田祭の歴史や信仰、町の絆がぎゅっと詰まっています。
朝の澄んだ空気の中で執り行われる発輦祭は、観る人の心にも静かに響くひととき。
祭りの華やかな側面とはまた違った、神田祭の原点とも言える厳粛な儀式です。
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X:#令和7年神田祭
Youtube生配信
【10日神幸祭】15時ごろ〜
https://youtube.com/live/1onOpUnixBY
【11日神輿宮入】8時ごろ〜終日
https://youtube.com/live/ZhcQ1QdQ49g
神田明神の神田祭において、歴史とドラマを感じさせる存在が「三の宮鳳輦(さんのみやほうれん)」です。
この鳳輦には、平安時代の武将にして神田明神の御祭神のひとりである『平将門命(たいらのまさかどのみこと)』がお乗りになります。
三の宮鳳輦は、昭和59年に将門命が正式に御祭神として復座されたことを機に、昭和62年に氏子の浄財によって調製されたものです。
その姿は、江戸時代に将門命がお乗りしていた「二の宮入母屋造の神輿」を元に復元されたもので、歴史への敬意と信仰が詰まった一点。
武士の守護神として広く信仰される将門命は、勝運、厄除け、地域の守護神として親しまれています。
祭りの際に三の宮鳳輦が町を進む姿には、荘厳さと共に強さ、そして誇りが感じられ、多くの人々が手を合わせ祈りを捧げます。
勇壮な歴史の記憶を今に伝える「三の宮鳳輦」。神田祭に訪れた際には、ぜひその背景と姿にもご注目ください。
神田明神の神田祭では、一の宮・三の宮の鳳輦と並び、ひときわ存在感を放つのが「二の宮神輿(にのみやみこし)」です。 この神輿には、神田明神のご祭神である少彦名命(すくなひこなのみこと)、通称「えびす様」がお乗りになります。
えびす様は、商売繁昌、医薬健康、開運招福のご利益で知られ、昔から商人や企業人にとって心強い守り神。
祭礼中も沿道から「えびす様、お願いします!」という声が飛び交い、親しみと信仰の両面から厚く敬われています。
この二の宮神輿は、昭和48年(1973年)に日本橋三越本店が創業300年を記念して奉納したもの。
格式と歴史を兼ね備えた、非常に貴重な神輿です。
華やかな装飾と重厚な造り、そしてえびす様の福を町に運ぶ神聖な役割。
二の宮神輿は、神田祭の中でも特に注目すべき存在のひとつです。
神田祭に訪れた際は、この神輿の由緒やえびす様のご利益にも、ぜひ思いを馳せてみてくださいね。
神田祭の中心を飾るのが、「一の宮鳳輦(いちのみやほうれん)」。
これは、神田明神の主祭神である大己貴命(おおなむちのみこと)、通称「だいこく様」をお乗せする、最も格式の高い輿です。
だいこく様は、縁結び、夫婦和合、国土開発・経営、医療・医薬のご利益で知られ、古くから人々に親しまれてきた神様。その御神霊が鳳輦に乗って町を巡る様子は、まさに神田祭のハイライトといえるでしょう。
この鳳輦は、昭和27年(1952年)に製作されたもので、大正11年(1922年)に新調された大鳳輦をモデルに再現されています。
そして、令和元年の神田祭開催に合わせて、修復が行われ神々しい姿になりました。
金箔のきらめき、美しい彫刻、荘厳な鳳凰の姿。
そのすべてに、神聖さと格式が宿っています。
その美しさと威厳は、見る人の心を打つほど。
氏子地域を巡る神幸祭では、多くの人々がその姿に手を合わせ、だいこく様のご加護を願います。
神田祭に訪れたら、ぜひこの「一の宮鳳輦」の美しさと意味にも注目してみてくださいね。
只今、社殿前では「一の宮鳳輦」「二の宮神輿」「三の宮鳳輦」三基の鳳輦・神輿の飾り付けが行われています。
祭りを目前に控えたこの作業では、御鳳輦(ごほうれん)と神輿に金具や布、飾り房などを一つひとつ丁寧に取り付け、威厳と美しさを整えていきます。
神職や関係者、町会の方々の手によって行われるこの作業は、ただの準備ではなく、神様を迎えるための“奉仕”でもあります。
きらびやかに輝く鳳凰、繊細な彫刻、そして美しく結ばれた五色の飾り房——そのすべてが、江戸の伝統と職人の技を今に伝える芸術品のよう。
こうして飾り付けを終えた御鳳輦と神輿は、いよいよ氏子町へと渡り、祭り本番を迎えるのです。
午前8時に行われる、「発輦祭(はつれんさい)」に向け、飾り付け作業が進められています。
午前5時を過ぎました。
神田祭では、華やかな神幸祭や神輿宮入の前に、数々の厳粛な神事が執り行われます。
そのひとつが、神職、宮鍵講、御防講の奉仕による、「御鍵渡しの儀(みかぎわたしのぎ)」です。
この儀式では、神田明神の御鳳輦(ごほうれん)と神輿を納めた奉安庫の鍵が、宮鍵講(みやかぎこう)の講員に正式に引き渡されます。
御鍵渡しは、ただの“鍵渡し”ではなく、祭りの安全と成功を願う祈りが込められた、重みのある瞬間です。
祭礼を担う町会に対する神社からの信任の証であり、非常に格式ある瞬間です。
神田祭の伝統と信頼を支える心が、そこには確かに息づいています。
儀式の後、宮鍵講員によって奉安庫の扉が開かれ、御鳳輦と神輿が社殿前の正面に奉安されます。
この荘厳な光景は、祭りの核心に触れる貴重な場面。
静寂と緊張感に包まれる中、御神霊が動き出す“神事の始まり”を感じることができます。
おはようございます。
令和5年から2年ぶりの神田祭、令和7年の神田祭。
本日、 5月10日(土)は氏子の町々を鳳輦・神輿の行列が巡る「神幸祭」の日です。
一昨日の5/8(木)に行われた「鳳輦神輿遷座祭」、昨日5/9(金)に行われた「氏子町会神輿神霊入れ」といった神事の模様もこちらのブログでもお伝えしてきました。
神幸祭とは、氏神様 -氏子の町を守る神々- がお乗りの鳳輦・神輿をはじめとする行列が氏子たちの町々を巡り、触れあうことで、恩頼(みたまのふゆ) -神々のお力- により町々を祓い清める神事です。
神田明神の御神体を乗せた鳳輦(ほうれん)や神輿が、日本橋・丸の内・秋葉原などの氏子地域を巡る大行列。
古式ゆかしい衣装に身を包んだ行列は、まるで時代絵巻を見ているよう。
都心の真ん中を伝統のパレードがゆっくりと進んでいく光景は、まさに圧巻です。
途中、町ごとのおもてなしや祭囃子も加わり、街中が祭り一色に。
見物するだけでもその迫力と歴史の深さを感じられるイベントです。
華やかで厳かな神幸祭、ぜひカメラを片手に見に行ってみてくださいね!
また、「Internet TV 神田祭.ch」では15:00頃より、神幸祭の街の様子、神輿宮入の様子を生中継いたします!!
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