
15時より、神田明神公式Youtubeにて、神幸祭のライブ配信を行います。
午後から天気も回復し、三柱の神が乗った鳳輦と神輿を中心とする絢爛豪華な大行列が、氏子の各町会を巡り、町々を祓い清める神田祭で最も注目される神事です。
スタジオのMCと町会でのレポーターが、神幸祭の熱狂をお伝えします。
【神幸祭】15時〜終日(21時ごろまで)
https://youtube.com/live/1onOpUnixBY
みなさんのコメントをお待ちしております。
メール:mail@kandamatsuri.ch
X:#令和7年神田祭
全国各地より郷土自慢の和太鼓チームが集結し、10日(土)・11日(日)に神田明神境内・宮本公園特設ステージで競演します!
また、郷土自慢の品々・物産の販売も宮本公園会場で併せて行われています。
和太鼓の演技競演と物産品をお楽しみください。
ぜひ、神田祭に遊びにいらしてくださいね!
神田中央連合の子供神輿が神田明神へやってきました。
元気な子供たちの賑やかな宮入です。
横山町問屋街を入ってすぐの、宮入本店前にて宮入正英総代によります献饌が行われました。
中央区・日本橋横山町に位置する「横山町問屋街」は、アパレルや服飾雑貨などを中心とした問屋が軒を連ねる、東京有数の卸売のまち。
現在も約300店以上の店舗がひしめき合い、日々多くの仕入れ客やバイヤー、一般の買い物客でにぎわっています。
そのルーツは江戸時代初期までさかのぼります。
この地にはかつて西本願寺の別院が建てられていましたが、明暦の大火(1657年)によって焼失し、後に築地へと移転。その跡地が町屋として整備され、商業の街として発展していきました。
また、町名の「横山町」は、この一帯が江戸時代に御家人・横山氏の知行地だったことに由来するといわれています。
宗教と武士、そして商いの歴史が交錯する、まさに“江戸の縮図”のような土地なのです。
現在の横山町問屋街では、昔ながらの暖簾を掲げた老舗と、モダンなスタイルの新店舗が共存しており、まち歩きにもぴったりの雰囲気。 専門性の高い商材がそろう一方で、最近では一般客向けに小売を行う店舗も増えており、海外からの観光客の姿も見られるようになっています。
江戸の面影を残しながら、今も「商いのまち」として活気を放つ横山町。 喧騒の合間に、東京の商業文化の芯を感じることができる、そんな場所です。
神幸祭の行列は岩本町一丁目にさしかかりました。
こちらでは山崎洋一郎総代によります献饌が執り行われました。
千代田区の東部、秋葉原や神田に隣接する「岩本町一丁目」は、交通の便に恵まれたビジネスエリアでありながら、江戸から続くまちの記憶が静かに息づく場所でもあります。
その名の由来は、江戸時代の旗本・岩本氏の屋敷地があったことにちなむとされており、現在も地名としてその歴史が受け継がれています。周辺は江戸の頃から職人町や問屋街として発展してきた地域で、繊維・雑貨・皮革などの商業の拠点として長く栄えてきました。
戦後はビル街へと姿を変え、現在ではオフィスビルや中小企業の本社ビル、ホテルなどが集まる都市型の街並みとなっています。日比谷線「岩本町駅」を中心に、秋葉原・神田・馬喰町といった各駅が徒歩圏にあり、都心の交差点として多くの人々が行き交うエリアです。
近年では、再開発や住宅の建設も進み、暮らす場所としての魅力も高まっている岩本町一丁目。昔ながらの個人商店や飲食店も点在し、地域の日常に彩りを添えています。
華やかな観光名所こそないものの、ここには江戸から東京へと続く都市の歩みと、そこで働く人々の生活の息遣いが今も残っています。
まち歩きの途中でふと立ち止まりたくなる、そんな“東京の縁の下”のような存在のまちです。
東神田交差点は秋葉原にほど近く清洲橋通りと靖国通りが交差する交差点です。
東神田交差点では、藤井隆太総代によります献饌が斎行されました。
靖国通りと清洲橋通りという2つの主要道路が交差する、まさに“まちの節目”ともいえるポイントです。 秋葉原、浅草橋、日本橋といったにぎやかなエリアの間にありながら、ここには少し落ち着いた、日常の東京が広がっています。
交差点の周辺には、古くから繊維・皮革・雑貨などの問屋街として栄えてきた街並みが残っています。
今も小さな商店や事業所が立ち並び、昭和の面影をとどめながら、新しいオフィスやマンションも増え、時代の層が重なる街並みとなっています。
「東神田(ひがしかんだ)」という地名は、江戸時代から続く「神田」の広がりの中で、隅田川方面に向かう東側に位置していたことに由来します。
もともとこの辺りは神田川沿いに蔵や倉庫が立ち並び、物流と商業の要所でした。
交差点を起点に少し足を伸ばせば、「美倉橋」や「和泉橋」など、神田川に架かる歴史ある橋も点在しており、まち歩きにもぴったり。 派手な観光名所はなくても、こうした日常の風景の中に、東京という都市の成り立ちや暮らしの記憶がそっと息づいています。
行列は、岩本町へと巡行していきます。
行列は和泉公園を出発し、神田川に架かる静かな街角の橋、美倉橋(みくらばし)を通過しています。
東神田二・三丁目と神田佐久間町四丁目を結び、清洲橋通りの上にあるこの橋は、地域に根ざした穏やかな存在として、日々多くの人の生活を支えています。
「美倉橋」という名前は、かつてこの界隈にあった美しい蔵の風景に由来すると言われており、古き良き東京の面影を今に伝える橋のひとつです。
周辺には昔ながらの問屋や小規模な工場、住宅が並び、時折、川沿いを歩く人々の姿も見られる、静かでのんびりとした空気感が魅力。華やかな観光地ではありませんが、だからこそ、街歩きの途中で立ち止まりたくなるような『“東京らしい”日常の風景』に出会える場所です。
橋の上から眺める神田川と、その向こうに広がる町並み。
ここには、にぎやかな都心とは少し違う、東京のもうひとつの表情が静かに流れています。
美倉橋を通過後、左折して東神田を巡って行きます。
神田祭期間中、神田明神の参道と本殿裏の駐車場エリアにて、多くの屋台が出店しています。
神社へ参拝の際、ぜひ足を運んでみてください。
本日午前中はあいにくの雨でしたが、徐々に天気も回復しています。
夕方には天気予報では晴れの予報が出ていますので、みなさんぜひお越しください。
行列は千代田区立和泉小学校隣接の和泉公園に到着しました。
秋葉原駅からほど近く、千代田区立和泉小学校に隣接する「和泉公園」は、地域の人々にとって憩いと安心の場として親しまれている、小さな緑の広場です。
この和泉公園には、実は地域の歴史と想いが詰まっています。 もともとこの場所は「東京食料事務所」の跡地でしたが、昭和46年(1971年)に地域の住民の方々が中心となって整備された公園です。 「子どもたちや地域住民が気軽に集える緑の場を」「災害時の避難場所としても活用できるように」という願いのもとで整備され、以来、地域の人々の暮らしに寄り添ってきました。
園内にはベンチや遊具が設けられ、放課後には小学校の児童が遊ぶ姿も見られます。こぢんまりとしながらも、木々の緑が心地よく、都心にありながら自然とふれあえる大切な空間となっています。
こうした背景を知ると、和泉公園は単なる公園ではなく、『住民の力で生まれ、今も支えられている“まちの宝”』だと感じられるはずです。
ここで、しばらく休憩となります。
おにぎり等、炊き出しが用意されています。
秋葉原駅東側、昭和通り沿いに位置する和泉橋(いずみばし)は、神田川にかかる小さな橋ながら、秋葉原の“もうひとつの顔”を感じさせる場所です。
橋のすぐ近くには昭和通り口の駅改札があり、日々多くの人々が行き交う、まさに秋葉原の玄関口ともいえる存在です。
秋葉原は、第二次世界大戦後の闇市から発展した街。
戦後の混乱の中で物資を求める人々が集まり、その後の高度経済成長とともに、電子機器や部品、ソフトウェアを扱う店が軒を連ね、世界有数の電気街へと成長していきました。
一方で、駅の北西側には、かつて『神田青果市場(通称「やっちゃば」)』が存在していた歴史があります。
今もこの一帯には、海藻や穀類を扱う老舗の商店が点在しており、当時の市場文化の名残を感じさせてくれます。
和泉橋を中心としたこの一帯には、新旧ふたつの秋葉原の記憶が重なっているのです。 電気街の最先端と、戦後復興の原点。和泉橋に立ってみると、そんな秋葉原の奥深さがふと見えてくるかもしれません。
昭和通りから東側の地域は、都心等拠点地区における秋葉原地区の範囲に含まれておりませんが、神田祭では「秋葉原東部地区連合」として神輿宮入を行っております。
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