神田駅東地区連合 北乗物町町会

2019年05月12日 16:44
【町会の特徴】
北乗物町は、明治2年(1869)に、元乗物町代地、兵庫屋敷代地、神田紺屋町二丁目横町代地が合併して成立しました。
成立時、この地に多くの駕篭職人が入居しました。
町名を付けるにあたり、かつて駕篭などの乗物や馬具を作る職人が集まって居住したために生まれた地名であると言われています。

元乗物町の「元」は日本橋の「新乗物町」に対して名付けられました。
「兵庫屋敷」は兵庫殿という御女中が拝領した屋敷である、と言われています。

町会の該当区域は、北乗物町全域となっています。

【神輿の特徴】
北乗物町町会は山車にご注目ください。
戦後作られた氏子町会最大のこの山車は、電線の高さを考慮に入れて、昭和29年に作成された、「獅子頭太鼓山車」です。
神田神社の正面に建つ「随神門」をぴたりとくぐり抜け、宮入をします。
純金箔貼りの雄、雌の獅子頭を取外し、「獅子頭神輿」として担ぐこともできます。
台座は総欅作りで、丁寧な彫刻が施してあります。その美しさをご堪能ください。

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子供神輿
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中神田十三ヶ町連合 淡路町一丁目町会

2019年05月12日 16:33
【町会の特徴】
江戸時代の初め、この地には「西福寺」「西念寺」という、将軍家と関係が深い寺院が、観音坂を下りきったあたりに位置していました。
西福寺は慶長3年(1598)、徳川家康が故郷の三河から呼び寄せた寺です。

神田淡路町一丁目と名付けられたのは明治5年(1872年)になってからです。
この名前は、鈴木淡路守の屋敷があったことから名付けられたという「淡路坂」に由来しています。

当町会は、昔からのしきたりを尊重し大切に守る町会です。

町会の該当区域は淡路町一丁目の奇数番地となります。

【神輿の特徴】
淡路町一丁目町会の神輿は、昭和40年に、宮本重義により作られました。小型の神輿ではありますが、担ぎ手衆の迫力と技に御注目下さい。

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中神田十三ヶ町連合 須田町一丁目南部町会

2019年05月12日 16:22
【町会の特徴】
江戸時代の須田町は、現在の神田須田町一丁目とほぼ同じ範囲でした。
江戸期の町内には、菓子屋や薬屋、塩や油を扱う問屋、神具や仏具を売る店など、さまざまな商品を扱う店があったと言われています。
現在の町内にも、東京都選定の歴史的建造物に指定されるような老舗の商店が数多く営業しています。
 
かつて、須田町交差点の一角で、銀座線の入口近くには「立花亭」という寄席がありました。
この寄席は震災では焼けましたが、戦災はまぬがれて、昭和29年に幕をおろすまで、書物にもよく取り上げられるほどの東京でも有数の寄席の一つでした。
 
町会の該当区域は須田町一丁目5・7番地及び16〜34番地までの偶数番地となっています。

【神輿の特徴】
須田町一丁目南部町会の神輿の大きさは他の町会と比べると小ぶりですが、彫刻の手の凝りようではどこにも負けないと思います。当町内には、老人病院があり、病院前で神輿を練るときは入院患者のご老人の方々をはじめ、病院スタッフにも大変喜ばれています。

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中神田十三ヶ町連合 須田町北部町会

2019年05月12日 16:14
【町会の特徴】
須田町北部町会は昭和8年に設立しました。
 
この辺りには、かつて、甲武鉄道(現中央線)の始発駅である、万世橋駅(現交通博物館)があり、東京で一番交通の便利な場所でした。
須田町交差点の雑踏ぶりは「親知らず子知らず」と称されるほどで、大正初年(1912)に、交通巡査が日本で初めて立ったのもこの須田町交差点であったと言われています。
 
また、須田町北部町会には出世稲荷神社という、誰もがあやかりたい名前を持つ神社があります。
創立の頃より、町内の鎮守神であったと言われています。
現在の社殿は昭和3年に完成したもので、毎年9月15日に祭祀を行っています。
 
町会の該当区域は須田町一丁目1・3・9〜25番地までの奇数番地と、淡路町一丁目2・4番地、淡路町二丁目2〜12までの偶数番地となっています。

【神輿の特徴】
須田町北部町会の神輿は、昭和16年に製作されました。
伝統を重ねてきた神輿同様、我々担ぎ手も強い気持ちで担ぎ続けます。

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中神田十三ヶ町連合 神田鍛治三会町会

2019年05月12日 16:07
【町会の特徴】
昭和8年に「鍋町北の大部分・鍛冶町北の一部・鍋町西横町の内の一部」等が統合して「神田鍛冶町三丁目」となりました。

この界隈が鍋町と呼ばれていた理由は、江戸幕府の御用鋳物師を務めていた、椎名山城が屋敷を構えていたためであると言われています。
鋳物師とは、鍋や釜をつくる職人のことです。他にも御腰物金具師や御印判師なども住んでいました。

鍋町に住んでいたのは、このような御用職人ばかりではありません。紅や白粉などの化粧品、傘、菓子、釘や打物などを扱う各種の問屋をはじめ、馬具や武具をつくる職人まで店を構えて住んでいました。
江戸時代、この界隈は鍋のような日用品から馬具や武器まで、多種多様な商品が揃う町でした。

町会の該当区域は神田鍛冶町三丁目・内神田三丁目19〜21番地となっています。

【神輿の特徴】
神田鍛治三会町会の神輿は浅草岡田屋製です。総勢350名の担ぎ手により宮入を行います。
宮入時の神輿振りに御注目下さい。大興奮間違いなしです。

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中神田十三ヶ町連合 須田町中部町会

2019年05月12日 16:02
【町会の特徴】
須田町中部町会は「神田青物市場」発祥の地として有名です。
水運を利用して神田川沿いの河岸や鎌倉河岸から荷揚げされた青物が、15,000坪(約4万9500㎡)におよぶ広大なこの青物市場で商われていました。

江戸、そして東京の食生活を支え続けたこの市場は、昭和3年には秋葉原西北に、平成2年には大田区へと移転しました。
それでも、現在の須田町町内には、東京都の歴史的建造物に指定されるような老舗商店が数多く営業しています。
須田町は江戸から続く、活気あふれる商いの伝統が今だに息づく町です。
 
町会の該当区域は須田町一丁目2〜14番地までの偶数番地となっています。

【神輿の特徴】
須田町中部町会の神輿は元祖女神輿です。
昭和52年から女性のみの女神輿を続けてきました。
女性ならではのきらびやかな神輿担ぎをどうぞ、御覧下さい。

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中神田十三ヶ町連合 内神田旭町々会

2019年05月12日 15:58
【町会の特徴】
江戸時代、この辺りは出羽秋田藩藩主佐竹 義宣及び能楽師幸若太夫の屋敷地でした。
天和2年(1682)の大火でこの付近一帯が焼失した後、佐竹氏は下谷三味線掘(現台東区)に移転し、跡地は町人地となり永富町二〜四丁目、新革屋町代地、元乗物町代地の一部となりました。
明治2年(1869)、これらの地域は「旭町」と改名されました。
「旭町」の由来は佐竹氏の家紋「扇に日の丸」に因んでいます。

町内にある『佐竹稲荷神社』は寛永12年(1635)に創られました。
同町の鎮護の神として丑寅の一隅に安置されていましたが、大震災後の区画整理の際に現在地(内神田三丁目10番地)に移されました。

昭和41年に住居表示が実施されると、内神田二丁目と三丁目の一部となり、旭町の名前は地図から消えてしまいましたが、昔を語り継ぐように町会の名前として今でも存続しています。

町会の該当区域は内神田二丁目8・9・13・14・16番地、内神田三丁目5・6・8〜11・15・16・24番地となっています。

【神輿の特徴】
旭町の旧町である、永富町では天下祭の神田祭では竜神の山車を出していました。その故事にちなんで、内神田旭町々会の神輿は神田明神、竜神山車、花笠の町衆が彫刻されている、非常に珍しいものです。昭和27年、宮本重義作です。

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中神田十三ヶ町連合 内神田美土代町会

2019年05月12日 15:41
【町会の特徴】
内神田美土代町会は、江戸時代は武家地と町人地でした。
武家屋敷としては五代将軍徳川綱吉の側近として活躍した柳沢吉保が屋敷を構えていました。その他、老中や若年寄を輩出した由緒正しい武家の屋敷が軒を連ねていたと言われています。
一方、武家屋敷だけではなく、商人や職人が住む町屋もありました。江戸時代の美土代町周辺は重要な武家屋敷地でありつつも、新たな風俗・流行を生み出すこともできる、懐の深い町でした。

町名の由来は、この周辺に伊勢神宮に捧げるための稲を育てる水田、「みとしろ」があったことに因んで生まれたものであるとも、「神田」を訓読みすると「みとしろ」になるため「美土代町」としたとも言われています。

昭和10年(1935年)の区画整理により、周辺が「美土代町」となりました。明治期の美土代町は、一〜四丁目まである広大な町域を持っていましたが、時代を経るに従い、その範囲は狭くなっていきました。現在の千代田区神田美土代町が誕生したのは昭和22年(1947)のことです。

町会の該当区域は神田美土代町及び内神田一丁目2〜4・12〜15番地となっています。

【神輿の特徴】
宮入は総勢300名の担ぎ手により、賑やかに、楽しく担ぎ上げます。見物人の方々にも和気あいあいとした雰囲気が伝わると思います。
屋根唐破風型神輿の大神輿は、昭和28年、宮本 重義の手により生まれました。特徴のあるデザインが魅力です。

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中神田十三ヶ町連合 多町一丁目町会

2019年05月12日 15:28
【町会の特徴】
多町一丁目は江戸時代には、神田堅大工町と呼ばれ、大工職・左官職・屋根屋等の職人が多く住む町であった、と言われています。
また江戸名物と言われた「纏屋治郎右衛門 」の店があり、江戸でただ一軒の纏屋でもありました。
町火消しの旗印たる「纏」はいずれもこの店で作ったものであり、「いろは四十七組」はもとより、他の地方の分までも一手に手掛け、その名は広く知れ渡っていたと言われています。
 
町会の道路下には、東京都指定史跡である「神田下水」が埋設されています。
この下水は明治17年に、一般市民の衛生や都市環境を改善する目的で、近代工学に基づいて建設された我が国初の近代下水道といわれています。その構造は現在の下水道管とは異なり、レンガで積まれ強固に築かれています。
 
町会の該当区域は内神田三丁目7・12〜14・17・18・22・23番地となっています。

【神輿の特徴】
多町一丁目町会の神輿は昭和30年前半の製作で、65年経過して、今回の令和元年の宮入に合わせ大規模修繕を行いました。
彫り物は全て分解してクリーニングを実施し、鳳凰他全てのメッキをし直し、漆も全て塗り直しを行いました。
多町一丁目町会は、昔は竪大工町といって職人が多くすむ地域でした。
その職人の心意気が受け継がれ、中曽根会長を先頭に神輿の大修繕を行いました。
費用は、ん百万円。国産車1台分でした。

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中神田十三ヶ町連合 司町一丁目町会

2019年05月12日 15:20
【町会の特徴】
司町一丁目町会は、江戸時代には商人や職人の家が立ち並んでいた町でした。時代を経てもそれは変わりなく、呉服関係、印刷、製本などの職人たちが多く住む町でした。特に建築関係では、町内の職人だけで家が一軒建てることができた言われるほどです。また、商店も大きな店ではなく、生活に必要な八百屋や魚屋などが多く、人情味豊かな町でした。

明治に入ると、「三河町二丁目、皆川町、蝋燭町等」に再編されました。
さらに関東大震災後に4つの町が合併し「司町一丁目」が誕生しました。
 
司町の名前は神田神社の平田盛胤宮司の命名によるもので、「司」は「者の頭領なれば、未来永劫栄ゆること疑いなし」という意味を持つことから名付けられました。

昭和22年、神田区と麹町区が合併して千代田区が成立したときに「神田司町一丁目」となり、さらに昭和41年に内神田一丁目と、内神田二丁目となり現在に至っています。
 
町名は「内神田」になりましたが、住民組織である町会では「司」の名前を引き継ぎ「司町一丁目町会」として存続しています。今ではオフィスビルが多くなりましたが、人情味豊かなとても楽しい町会です。
 
町会の該当区域は内神田一丁目9〜11・16〜18番地及び内神田二丁目10〜12・15番地となっています。

【神輿の特徴】
司町一丁目町会の神輿は、昭和31年、宮本重義の手により作られました。大きさは台輪寸法2尺2寸です。蕨手の所に、銀の龍をあしらった優美な神輿です。
担ぎ手からは「楽しく担げる神輿です」と言われるような、町会と同じように人情味溢れる神輿です。また、数年前には子ども神輿と山車を修復しました。特に山車は昭和9年の大祭に皇太子殿下ご生誕を記念して作られて以来の大修復となりました。

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神田駅東地区連合 北乗物町町会 2019.05.12

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【町会の特徴】 内神田美土代町会は、江戸時代は武家地と町人地でした。 武家屋敷としては五代将軍徳川綱吉の側近として活躍 ...

中神田十三ヶ町連合 多町一丁目町会 2019.05.12

【町会の特徴】 多町一丁目は江戸時代には、神田堅大工町と呼ばれ、大工職・左官職・屋根屋等の職人が多く住む町であった、と ...

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【町会の特徴】 司町一丁目町会は、江戸時代には商人や職人の家が立ち並んでいた町でした。時代を経てもそれは変わりなく、呉 ...