
【町会の特徴】
錦三【にしき さん】は、錦町三丁目町会【にしきちょう3ちょうめ ちょうかい】 、
錦町三丁目第一町会【にしきちょう3ちょうめ だい1ちょうかい」の2つの町会の連合となっています。
「錦町【にしきちょう】」の名前の由来は、かつて、「一色【いっしき】 」という旗本屋敷が二軒あったことから、
あわせて「二色【にしき】 」または「二色小路【こうじ】」と呼ぶようになり、明治に入り「錦町【にしきちょう】 」と
改められました。
江戸時代、この地域は、松平紀伊守【まつだいら きいのかみ】などの武家地や「護持院ケ原【ごじいんがはら】 」と呼ばれる場所が広がっていました。
明治に入り、下級武士を中心に商店や職人が増加し、町の性格が変化していきました。
特に、神田橋周辺には運送業者が多く存在し、出版・印刷・製本業なども盛んになりました。
また、教育機関が立ち並ぶ文教【ぶんきょう】の町として発展を続けました。
かつては学習院大学や一橋大学の前身である高等商業学校がありました。
現在の中央大学である「英吉利法律学校【いぎりす ほうりつがっこう】もこの地で開学しました。
明治10年(1877)には、東京開成学校【とうきょう かいせいがっこう】と東京医学校【とうきょう いがっこう】が合併し
「東京大学」が創立されました。
現在では東京電機大学となった電機学校は、昭和に入りこの町内に移ってきました。
その他、「東京外国語大学 」や「共立女子大学【きょうりつじょし だいがく】」など多くの優秀な学校がひしめきあっています。
町会の該当地域は、錦町二丁目、錦町三丁目全域、小川町二丁目1・3・5番地となっています。
【神輿の特徴】
錦連合は毎回、900〜1000人前後の担ぎ手が参加する、大変大きな連合神輿です。宮入の熱気に注目ください。
さらに、宮入だけではなく神田中央連合の駿河台下【するがだいした】交差点での神輿振り【みこしぶり】も必見です。
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