
【町会の特徴】
「淡路町」の名称は、江戸時代に鈴木淡路守【すずき あわじのかみ】という武家の屋敷があったことに由来しています。
また、この地域には「淡路坂【あわじざか】」と呼ばれる坂があり、地名の由来のひとつとされています。
江戸時代初期、この地域は武家地や寺院が多くを占めていました。
この地には「西福寺【さいふくじ】」「西念寺【さいねんじ】」といった寺院が存在し、地域の信仰の中心となっていました。
西福寺【さいふくじ】は慶長【けいちょう】3年(1598)、徳川家康が故郷の三河【みかわ】から呼び寄せた寺です。
この周辺には、江戸幕府の旗本や譜代大名【ふだい だいみょう】の屋敷が多く存在し、比較的静かな武家地として利用されていました。
江戸時代の中期以降、武家地としての機能が一部変化し、町人や商人が住むようになりました。
神田川の近くに位置していたこともあり、物流の拠点としての役割を持つようになり、江戸の物流を支える一角として発展しました。
特に、材木商や書物問屋が集まる町として知られるようになり、江戸の町の発展に大きく貢献しました。
明治5年(1872年)、行政区画の整理により「神田淡路町【かんだ あわじちょう】」が正式に命名されました。
その後、関東大震災(1923年)や第二次世界大戦を経て、再開発が進みました。
戦後、淡路町はオフィス街としての性格を強め、現在も多くの企業が立地する地域となっています。
当町会は、昔からのしきたりを尊重し大切に守る町会です。
町会の該当区域は淡路町一丁目の奇数番地となります。
【神輿の特徴】
淡路町一丁目町会の神輿は、昭和40年に、宮本重義【みやもと しげよし】により作られました。
小型の神輿ではありますが、担ぎ手衆の迫力と技に御注目下さい。
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