中神田十三ヶ町連合 内神田鎌倉町会

25.05.11

【町会の特徴】
町の歴史は、天正【てんしょう】 18年(1590年)に徳川家康が江戸に入府したときに始まります。

徳川家康が江戸城の築城と町づくりを開始し、城を囲む御堀(現在の日本橋川)は建築資材などを運ぶ水路として活用されました。
古い地図にも、神田橋付近に「かしふねあり」と記され、水運の拠点として栄えていたことがわかります。​

「鎌倉町【かまくらちょう】」の付近は江戸城の築城【ちくじょう】工事の際、資材の荷揚げ場【にあげば】となっていました。
多くの材木石材が現在の神奈川県である相模の国【さがみのくに】から運び込まれ、
鎌倉から来た材木商たちが築城【ちくじょう】に使う建築部材を取り仕切っていました。
そのため荷揚場が「鎌倉河岸【かまくらがし】」と呼ばれ、
それに隣接する町が「鎌倉町【かまくらちょう】」と名付けられたと言われています。

その足跡は、町内にある御宿稲荷神社【おやど いなりじんじゃ】に残されており、江戸最古の町の一つとされています。
御宿稲荷神社【おやど いなりじんじゃ】は、小さいながらも江戸が都市化する以前から祀【まつ】られている数少ない神社の一つです。

家康公がはじめて江戸に来たときに、一夜を明かした家の庭に祠【ほこら】があり、後に幕府より家康の足跡を記念して社地【しゃち】を寄進【きしん】されたため、世に御宿【おやど】稲荷神社の大神【おおかみ】として祀【まつ】られるようになりました。

町会の該当区域は内神田1丁目1番5〜9・12・14号、5〜8番及び内神田2丁目1〜7、内神田3丁目1〜4となっています。

【神輿の特徴】
内神田鎌倉町会の神輿は朱色【しゅいろ】の飾網【かざりあみ】が美しい、
2尺5寸の大神輿です。
昭和38年に宮本 重義【みやもと しげよし】により作られました。
担ぎ手の緑色の半纏【はんてん】と神輿の鮮やかな対比をお楽しみ下さい。
綺麗な担ぎ方が当町会の自慢です。