中神田十三ヶ町連合 須田町一丁目南部町会 子ども神輿

25.05.11

【町会の特徴】
江戸時代以前、この地域は「須田村【すだむら】 」と呼ばれる農村地帯でした。
​慶長年間(1596年~1615年)に江戸の町の整備が本格化し、須田村も町人の町へと変貌しました。
​しかし、古くからの地名は残され、明暦三年(1657年)の「新添江戸之図【しんてん えどのず】 」には「すた町」と記されています。​このことから、「須田町【すだちょう】 」の名称は、旧来の「須田村【すだむら】 」に由来していると考えられます。

江戸時代の須田町は、現在の神田須田町一丁目とほぼ同じ範囲を指していました。
江戸期の町内には、菓子屋や薬屋、塩や油を扱う問屋、神具【しんぐ】や仏具【ぶつぐ】を売る店など、さまざまな商品を扱う店があったと言われています。
現在の町内にも、東京都選定の歴史的建造物に指定されるような老舗の商店が数多く営業しています。
 
明治以降、この地域には多くの繊維関連の問屋が集まりました。

​このように、須田町は江戸期以来の商いの町としての伝統が現在も息づいています。

かつて、須田町交差点の一角で、銀座線の入口近くには「立花亭【たちばなてい】」という寄席【よせ】がありました。
この寄席【よせ】は震災では焼けましたが、戦災はまぬがれて、昭和29年に幕をおろすまで、
書物にもよく取り上げられるほどの東京でも有数の寄席【よせ】の一つでした。
 
町会の該当区域は須田町一丁目5・7番地及び16〜34番地までの偶数番地となっています。

【神輿の特徴】
須田町一丁目南部町会の神輿の大きさは他の町会と比べると小ぶりですが、
彫刻の手の凝りようではどこにも負けないと思います。
当町内には、明和(めいわ)病院があり、病院前で神輿を練るときは
入院患者のご老人の方々をはじめ、病院スタッフにも大変喜ばれています。

【子ども神輿】