
【町会の特徴】
内神田旭町【うちかんだ あさひちょう】は、かつて「永富町【ながとみちょう】」と呼ばれていた地域が明治2年(1869年)に統合され、「旭町【あさひちょう】 」と改称されたことに由来します。
この改名の背景には、江戸時代に当地を治めていた佐竹氏の家紋「扇に日の丸」に由来するという説があります。
「旭」は日の出や朝日の象徴であり、縁起の良い名称とされています。
江戸時代、この地域には秋田藩佐竹侯【さたけこう】の上屋敷(藩邸)があり、藩主や家臣が生活を営んでいました。
佐竹家の藩邸の一部には佐竹稲荷神社【さたけ いなりじんじゃ】が創建されており、地域の人々に崇敬【すうけい】されてきました。
この神社は、現在も旭町【あさひちょう】界隈の鎮守【ちんじゅ】として信仰を集めています。
また、江戸期の内神田界隈は、商人町として発展しており、多くの商家や職人が集まる活気ある町並みを形成していました。
特に、神田地区は江戸随一の商業地として栄え、現在もその名残が残っています。
明治時代以降、町の区画整理や行政改編が進み、内神田旭町【うちかんだ あさひちょう】も次第に商業地としての性格を強めました。
昭和期にはオフィス街として発展し、戦後の復興とともに、周辺には企業の本社や中小企業の事業所が多く立地するようになりました。
現在の内神田旭町【うちかんだ あさひちょう】は、オフィスビルが立ち並ぶビジネス街としての顔を持ちながらも、
地域住民が協力して伝統行事を守る町でもあります。
昭和41年に住居表示が実施されると、内神田二丁目と三丁目の一部となり、旭町の名前は地図から消えてしまいましたが、
昔を語り継ぐように町会の名前として今でも存続しています。
町会の該当区域は内神田二丁目8・9・13・14・16番地、内神田三丁目5・6・8〜11・15・16・24番地となっています。
【神輿の特徴】
旭町【あさひちょう】の旧町である、永富町【ながとみちょう】では天下祭の神田祭では
竜神【りゅうじん】の山車【だし】を出していました。
その故事にちなんで、内神田旭町々会の神輿は神田明神、竜神山車【りゅうじんだし】 、
花笠【はながさ】の町衆【ちょうしゅう】が彫刻されている、非常に珍しいものです。
昭和27年、宮本重義【みやもと しげよし】作です。
協賛スポンサー様はランダム順で表示しております。