中神田十三ヶ町連合 多町一丁目町会

2019年05月12日 15:28
【町会の特徴】
多町一丁目は江戸時代には、神田堅大工町と呼ばれ、大工職・左官職・屋根屋等の職人が多く住む町であった、と言われています。
また江戸名物と言われた「纏屋治郎右衛門 」の店があり、江戸でただ一軒の纏屋でもありました。
町火消しの旗印たる「纏」はいずれもこの店で作ったものであり、「いろは四十七組」はもとより、他の地方の分までも一手に手掛け、その名は広く知れ渡っていたと言われています。
 
町会の道路下には、東京都指定史跡である「神田下水」が埋設されています。
この下水は明治17年に、一般市民の衛生や都市環境を改善する目的で、近代工学に基づいて建設された我が国初の近代下水道といわれています。その構造は現在の下水道管とは異なり、レンガで積まれ強固に築かれています。
 
町会の該当区域は内神田三丁目7・12〜14・17・18・22・23番地となっています。

【神輿の特徴】
多町一丁目町会の神輿は昭和30年前半の製作で、65年経過して、今回の令和元年の宮入に合わせ大規模修繕を行いました。
彫り物は全て分解してクリーニングを実施し、鳳凰他全てのメッキをし直し、漆も全て塗り直しを行いました。
多町一丁目町会は、昔は竪大工町といって職人が多くすむ地域でした。
その職人の心意気が受け継がれ、中曽根会長を先頭に神輿の大修繕を行いました。
費用は、ん百万円。国産車1台分でした。

IMG_1499

IMG_1508

中神田十三ヶ町連合 司町一丁目町会

2019年05月12日 15:20
【町会の特徴】
司町一丁目町会は、江戸時代には商人や職人の家が立ち並んでいた町でした。時代を経てもそれは変わりなく、呉服関係、印刷、製本などの職人たちが多く住む町でした。特に建築関係では、町内の職人だけで家が一軒建てることができた言われるほどです。また、商店も大きな店ではなく、生活に必要な八百屋や魚屋などが多く、人情味豊かな町でした。

明治に入ると、「三河町二丁目、皆川町、蝋燭町等」に再編されました。
さらに関東大震災後に4つの町が合併し「司町一丁目」が誕生しました。
 
司町の名前は神田神社の平田盛胤宮司の命名によるもので、「司」は「者の頭領なれば、未来永劫栄ゆること疑いなし」という意味を持つことから名付けられました。

昭和22年、神田区と麹町区が合併して千代田区が成立したときに「神田司町一丁目」となり、さらに昭和41年に内神田一丁目と、内神田二丁目となり現在に至っています。
 
町名は「内神田」になりましたが、住民組織である町会では「司」の名前を引き継ぎ「司町一丁目町会」として存続しています。今ではオフィスビルが多くなりましたが、人情味豊かなとても楽しい町会です。
 
町会の該当区域は内神田一丁目9〜11・16〜18番地及び内神田二丁目10〜12・15番地となっています。

【神輿の特徴】
司町一丁目町会の神輿は、昭和31年、宮本重義の手により作られました。大きさは台輪寸法2尺2寸です。蕨手の所に、銀の龍をあしらった優美な神輿です。
担ぎ手からは「楽しく担げる神輿です」と言われるような、町会と同じように人情味溢れる神輿です。また、数年前には子ども神輿と山車を修復しました。特に山車は昭和9年の大祭に皇太子殿下ご生誕を記念して作られて以来の大修復となりました。

IMG_1485

IMG_1496

中神田十三ヶ町連合 淡路町二丁目町会

2019年05月12日 15:04
【町会の特徴】
江戸時代、この界隈は、武家屋敷が立ち並ぶ地域でした。
永井信濃守の屋敷が松平伊豆守の屋敷となり、のちに若狭小浜藩酒井家の上屋敷となりました。

明治5年(1872)、ここに神田淡路町二丁目という名前が正式に付けられました。
町名の由来とされる淡路坂は、鈴木淡路守の屋敷があったためと言われています。
 
明治初期、現在の淡路公園の場所に、明治後期の日本を代表する知識人を輩出した共立学校(後の開成学園)が創設されました。ここでは正岡 子規や南方 熊楠などが学びました。
また町内には一時期、『たけくらべ』などで知られる女流作家で、歌人でもあった樋口 一葉も住んでいました。

淡路町は文化の町となり、その新進の気風は町並みにも表れていました。
大正末期から昭和初期にかけては、昌平橋近くに活動常設館(映画館)の名門である神田シネマパレスがあり、多くの人で賑わっていました。
 
町会の該当区域は淡路町二丁目1〜29番地までの奇数番地となっています。

【神輿の特徴】
淡路町二丁目町会の神輿は、昭和52年の宮本重義の手によるものです。神田明神氏子町会のどこにも負けないような担ぎをします。

IMG_1470

IMG_1476

中神田十三ヶ町連合 多町二丁目町会

2019年05月12日 14:50
【町会の特徴】
多町二丁目は神田の中でも古い町のひとつとで、徳川家康が江戸に幕府を開いた直後の慶長11年の起立と伝えられていますので、今年で410年を迎えます。

また江戸幕府の御用を預かる青物市場の中心地として栄えていたことでも有名です。
この市場は昭和3年に秋葉原に移転するまで約270年の間、続いていました。

当初は、一、二丁目に分かれていましたが、昭和8年の住居表示変更で合併されて、全てが多町二丁目になりました。

昔の多町二丁目は「鍾馗」の山車人形を持っている町会としても有名でした。この人形は神田祭に出される人形の中でも一番大きくて、約4メートルの高さがあり、神田名物の一つに数えられるほどでした。

【神輿の特徴】
多町二丁目町会の現在の神輿は、昭和54年に新しく作り直されました。
大きさは3尺になり、胴が締り、大きな作りとなっています。
昔の神輿は大正9年に製作したもので、関東大震災前の貴重な神輿として、現在は東京国立博物館に現存、保管されています。

IMG_3750

IMG_3751

中神田十三ヶ町連合 内神田鎌倉町会

2019年05月12日 14:37
【町会の特徴】
天正18年(1590)に徳川家康は江戸城へ入り、「鎌倉町」の付近は江戸城の築城工事の際、資材の荷揚げ場となっていました。多くの材木石材が相模の国(現在の神奈川県)から運び込まれ、鎌倉から来た材木商たちが築城に使う建築部材を取り仕切っていました。そのため荷揚場が「鎌倉河岸」と呼ばれ、それに隣接する町が「鎌倉町」と名付けられたと言われています。

鎌倉町は400年以上の歴史がある江戸最古の町の一つです。

町内にある御宿稲荷神社は、小さいながらも江戸が都市化する以前から祀られている数少ない神社の一つです。

家康公がはじめて江戸に来たときに、一夜を明かした家の庭に祠があり、後に幕府より家康の足跡を記念して社地を寄進されたため、世に御宿稲荷神社の大神と祀られるようになりました。

町会の該当区域は内神田一丁目一番5〜9・12・14号、5〜8番及び内神田二丁目1〜7、内神田三丁目1〜4となっています。

【神輿の特徴】
内神田鎌倉町会の神輿は朱色の飾網が美しい、2尺5寸の大神輿です。昭和38年に宮本 重義により作られました。
担ぎ手の緑色の半纏と神輿の鮮やかな対比をお楽しみ下さい。
綺麗な担ぎ方が当町会の自慢です。

IMG_3746

IMG_3749

中神田十三ヶ町連合 司町二丁目町会

2019年05月12日 14:22
【町会の特徴】
司町二丁目は、「新銀町、雉子町、関口町」等が合併し、昭和10年に設立しました。

新銀町は江戸時代に銀細工を扱う者が住んでいたことに由来し、明治5年に設立しました。

このうち雉子町には、『江戸名所図会』を親子三代にわたって完成させたことや、『東都歳事記』『武江年表 』などで有名な、斎藤 月岑が住んでいました。斎藤家は代々、雉子町の名主を務めていました。

関口町は江戸時代に開かれた町屋で、関口弥太郎という人物が草創名主だったので、それに因んで名付けられました。
 
町会の守護神として、「真徳稲荷神社」が祀られており、五穀豊穣、悪疫鎮護、商売繁盛の神様として現在に伝えられています。

昭和22年、神田区と麹町区が合併して千代田区が成立すると、司町二丁目は神田司町二丁目となりました。

町会の該当区域は神田司町二丁目全域となっています。

【神輿の特徴】
司町二丁目町会の神輿は昭和27年、宮本重義の手により作られました。大きさは2尺5寸で、二重台座になっています。本塗の屋下総金箔押で彩られています。台輪の四方には四神彫刻が入っています。総勢400名の担ぎ手で、750キロの神輿を担ぎます。平成13年に大補修をしました。丈は低いですが、重厚な神輿となっています。連合の中でも一番の神輿であると自負しています。

IMG_3737

IMG_3740

子供神輿
IMG_3741

中神田十三ヶ町連合 子供神輿

2019年05月12日 14:09

IMG_1465

IMG_1462

IMG_1457

IMG_1450

IMG_1447

IMG_1443

IMG_1446

大手・丸の内町会 将門塚保存会大神輿

2019年05月12日 13:56
【町会の特徴】
江戸時代、この界隈は、江戸の中心地として発展し数々の大名屋敷が立ち並んでいました。
また、この地には神田明神の創祀の場所である、「将門塚」がありました。

ここ丸の内一帯が大きく変貌を遂げたのは明治23年(1890)になります。
陸軍が一帯を三菱社に払い下げて以後、三菱社が大規模な再開発をしました。
地域内の道路整備を行い、続々と洋風の建築物を建てていきました。
赤レンガの建築物を中心としたそれらの建物が、ロンドンの景観を思わせるようであったと言われています。

さらに大正3年(1914)には東京駅も完成しました。
第一次世界大戦による空前の好景気を追い風とし、丸の内は一気に日本を代表するオフィス街へと成長を遂げたのです。

このような歴史を持つこの界隈が、正式に「まるのうち」と呼ばれるようになったのは昭和4年に、丸ノ内一〜三丁目という町名が誕生してからのことです。
そして昭和45年、町名の表記が片仮名の「 ノ」(丸ノ内)から平仮名の「の」(丸の内)へと変更され、現在に至っています。

当町会は、この地域に所在する企業・団体及び商店等を会員として、昭和32年に設立されました。

当町会の該当区域は、丸の内一・二・三丁目、大手町一丁目及び二丁目となっています。

【神輿の特徴】
平将門公を思わせる勇壮な姿を、とくと御覧下さい。
この神輿は、史蹟将門塚保存会の参与法人会員を務め、大手町・将門塚の隣接する三井物産株式会社より地域社会との交流・史跡旧跡の保存・伝統文化の継承による町おこし・社会貢献活動の一環として史蹟将門塚保存会に寄贈された神輿です。
一般的な神輿の形式とは異なる「入母屋造」で台輪3尺5寸の大神輿です。
当町会内で働く男女、総勢1250名の担ぎ手により宮入りします。
日本有数の大手企業人の心意気を宮入参拝の担ぎで魅せます!

IMG_1399

IMG_1413

神田中央連合 錦連合 (錦三神輿)

2019年05月12日 13:39
【町会の特徴】
錦連合(錦三神輿)の宮入です。

 錦連合は「錦町二丁目町会、錦町三丁目町会 、錦町三丁目第一町会 、小川町三丁目南部町会」の4つの町会の連合となっています。

 「錦町」の名前の由来は、かつて、「一色 」という旗本屋敷が二軒あったことから、あわせて「二色 」または「二色小路」と呼ぶようになり、明治に入り「錦町」と改められました。

 これらの町会は、明治以降、教育機関が立ち並ぶ文教の町として発展を続けました。

 かつては学習院大学、一橋大学の前身である高等商業学校がありました。また、「英吉利法律学校(現中央大学)」もこの地で開学しました。明治10年(1877)には、東京開成学校と東京医学校が合併し「東京大学」が創立されました。電機学校(現東京電機大学)は、昭和に入りこの町内に移ってきました。その他、「東京外国語大学 」や「学習院」、「共立女子大学」など多くの優秀な学校がひしめきあっています。

町会の該当地域は、錦町二丁目、錦町三丁目全域、小川町二丁目1・3・5番地となっています

【神輿の特徴】
錦連合は毎回、900〜1000人前後の担ぎ手が参加する、大変大きな連合神輿です。宮入の熱気もさる事ながら、午後2時頃から予定されています、神田中央連合の駿河台下交差点での神輿振りも必見です。

錦連合錦三神輿

錦連合錦三神輿

神田中央連合 錦連合(錦二神輿)

2019年05月12日 13:30
【町会の特徴】
錦連合(錦二神輿)の宮入です。

錦連合は「錦町二丁目町会、錦町三丁目町会 、錦町三丁目第一町会 、小川町三丁目南部町会」の4つの町会の連合となっています。

 「錦町」の名前の由来は、かつて、「一色 」という旗本屋敷が二軒あったことから、あわせて「二色 」または「二色小路」と呼ぶようになり、明治に入り「錦町」と改められました。

 これらの町会は、明治以降、教育機関が立ち並ぶ文教の町として発展を続けました。

 かつては学習院大学、一橋大学の前身である高等商業学校がありました。また、「英吉利法律学校(現中央大学)」もこの地で開学しました。明治10年(1877)には、東京開成学校と東京医学校が合併し「東京大学」が創立されました。電機学校(現東京電機大学)は、昭和に入りこの町内に移ってきました。その他、「東京外国語大学 」や「学習院」、「共立女子大学」など多くの優秀な学校がひしめきあっています。

町会の該当地域は、錦町二丁目、錦町三丁目全域、小川町二丁目1・3・5番地となっています

【神輿の特徴】
錦連合は毎回、900〜1000人前後の担ぎ手が参加する、大変大きな連合神輿です。宮入の熱気もさる事ながら、午後2時頃から予定されています、神田中央連合の駿河台下交差点での神輿振りも必見です。

錦連合錦二神輿

錦連合錦二神輿

中神田十三ヶ町連合 多町一丁目町会 2019.05.12

【町会の特徴】 多町一丁目は江戸時代には、神田堅大工町と呼ばれ、大工職・左官職・屋根屋等の職人が多く住む町であった、と ...

中神田十三ヶ町連合 司町一丁目町会 2019.05.12

【町会の特徴】 司町一丁目町会は、江戸時代には商人や職人の家が立ち並んでいた町でした。時代を経てもそれは変わりなく、呉 ...

中神田十三ヶ町連合 淡路町二丁目町会 2019.05.12

【町会の特徴】 江戸時代、この界隈は、武家屋敷が立ち並ぶ地域でした。 永井信濃守の屋敷が松平伊豆守の屋敷となり、のちに ...

中神田十三ヶ町連合 多町二丁目町会 2019.05.12

【町会の特徴】 多町二丁目は神田の中でも古い町のひとつとで、徳川家康が江戸に幕府を開いた直後の慶長11年の起立と伝えら ...

中神田十三ヶ町連合 内神田鎌倉町会 2019.05.12

【町会の特徴】 天正18年(1590)に徳川家康は江戸城へ入り、「鎌倉町」の付近は江戸城の築城工事の際、資材の荷揚げ場 ...

中神田十三ヶ町連合 司町二丁目町会 2019.05.12

【町会の特徴】 司町二丁目は、「新銀町、雉子町、関口町」等が合併し、昭和10年に設立しました。 新銀町は江戸時代に銀細 ...

大手・丸の内町会 将門塚保存会大神輿 2019.05.12

【町会の特徴】 江戸時代、この界隈は、江戸の中心地として発展し数々の大名屋敷が立ち並んでいました。 また、この地には神 ...

神田中央連合 錦連合 (錦三神輿) 2019.05.12

【町会の特徴】 錦連合(錦三神輿)の宮入です。  錦連合は「錦町二丁目町会、錦町三丁目町会 、錦町三丁目第一町会 、小 ...

神田中央連合 錦連合(錦二神輿) 2019.05.12

【町会の特徴】 錦連合(錦二神輿)の宮入です。 錦連合は「錦町二丁目町会、錦町三丁目町会 、錦町三丁目第一町会 、小川 ...