外神田地区連合 神田田代町会

2019年05月12日 09:27
【町会の特徴】
田代町は、江戸時代中頃までは武家屋敷でしたが、寛政5年(1793)の大火で神田川周辺にあった町が燃え、町の一部が火除地となりました。

翌年、その町に住んでいた人々が、御成道の旗本永井 伊織の屋敷跡を代地として与えられて移転してきました。
当初は「神代町」としましたが、あまりにも名前が立派すぎるので「神田代地」を省略して、「田代町」と改めました。

町内には花房稲荷が祀られています。
現在の社は戦火により消失してしまい、戦後に地元住民が再建したものですが、神社そのものは江戸時代からこの地にあったとされ、古くから地域のシンボルとして人々に親しまれています。
現在も4月にお祭りをしており、田代町の人々が大切に守っています。

町会の該当区域は外神田四丁目2〜6番地となっていなす。

【神輿の特徴】
神田田代町会の神輿は、昭和35年に生まれました。
他の神輿に比べ、引き締まっている作りです。
是非ご注目下さい。

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外神田地区連合 神田栄町会

2019年05月12日 09:16
【町会の特徴】
神田栄町はかつて、神田栄町と呼ばれ、江戸時代には武家屋敷が立ち並んでいた地域で、この一帯が豊前小倉藩小笠原家の中屋敷だった記録が残っています。

この界隈が大きく様相を変えたのは明治維新後のことです。
明治2年(1869)12月、神田相生町から出た火事によって、現在の外神田周辺は焼け野原となってしまいました。
そこで明治新政府は、神田竹町 、神田平河町 、神田松永町などに、防火のための火除地を設置し、鎮火神社(秋葉神社)を建立しました。
それらの町に住んでいた人たちがこの界隈に移転させられ、神田栄町となりました。
「栄」という名前は、新たに繁栄するように、との願いから付けられたと言います。

明治44年(1911)、町名は神田を取り、栄町と改称しますが、昭和22年に、神田区と麹町区が合併して千代田区が成立した際、ふたたび神田栄町となりました。
そして昭和39年、住居表示の実施で神田亀住町や神田元佐久間町とともに、現在の外神田五丁目となりました。

町会の該当区域は、外神田五丁目1・6番地となっています。

【神輿の特徴】
神田栄町会の神輿は昭和54年製作のものです。

皆さまの心に強く迫る宮入りをします。

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外神田地区連合 万世橋町会

2019年05月12日 09:06
【町会の特徴】
外神田一丁目の一帯は、神田川に架かる橋の名に因んで万世橋と呼ばれています。
万世橋の名前は、明治6年(1873)、昌平橋よりもやや下流に架けられた「萬世橋 」に由来します。
完成時は「よろずよばし」と命名されていましたが、いつしか「まんせいばし」という音読みが一般化しました。
また、万世橋は日本初の石橋でもあり、眼鏡橋と呼ばれたりもしています。

当時、武家地だった神田仲町と神田花房町は、享保年間(1716〜1736)に町屋となり、商人や職人が移り住むようになりました。
また、神田花田町は、明治2年(1869)、武家地だった花房町代地と須田町代地を合わせ、両町から一字ずつ取ってできた町です。
地元の万世橋町会は、戦後、その3つの町にまたがって成立した町です。
昭和39年(1964)、これら3つの町は外神田一丁目に変わり、現在に至っています。

電気街として有名な秋葉原もこの万世橋地区内にあり、戦前からすでに電気部品やラジオなどを扱う問屋や小売店がありました。

町会の該当地域は、JR秋葉原電気街口周辺の、外神田一丁目1番地8〜14号、2番地、4番地9〜17号、10〜17番地となっています。

【神輿の特徴】
万世橋町会の御輿は、昭和35年、宮本重義の手によるものです。
神田祭においても、比較的大きな神輿となっています。ぜひご堪能ください。
総勢300名の担ぎ手により宮入を行います。

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外神田地区連合 神臺会

2019年05月12日 08:53
【町会の特徴】
神臺会は神田神社の男坂下に位置します。
昭和39年に町名変更が実施されるまでは「台所町」と呼ばれていました。
明暦の大火(1657)までは日蓮宗の幸龍寺や曹洞宗の万隆寺の寺領でしたが、明暦の大火後、江戸幕府の火災対策の政策により、かつては寺が立ち並んでいた神田神社の裏手も、この新政策に沿って、城内の御台所御賄方の武家屋敷として再建されました。
御台所町という旧地名は、このときに始まるものと考えられています。 
さらに寛文12年(1672)、この場所に住んでいた武士たちの希望もあり、町内に「町屋」が作られました。
以降、御台所町は町人の町として発展を遂げていきました。
神田明神に近いという事から、「神田明神下御台所町」と長い名前が付いていましたが、明治5年(1872)に「神田台所町」となりました。
「神臺会」の名称は明治27年(1894)、日清戦争の年に町名として始まりました。日露戦争戦勝記念の「石橋」山車には提灯が飾られており、上の提灯の文字は「神臺会」、下の提灯の文字は「臺所町」となっています。さらに、戦後すぐの昭和21年製の太鼓には「神臺会」の文字が彫られており、現在もこの名称を町会名として使用しています。今年で121年の歴史となります。
神臺会は、現在も神田明神のお膝元としての誇りを強く持っている町会です。
町会の該当区域は、外神田二丁目5番地1~12号に加え、7番地1号・4号を除く、6~9番地となっています。

【神輿の特徴】
外神田連合の一番神輿です。
神社拝殿、前石段を舞台に奉納舞を行います。
その直後、神臺会の大小の神輿の宮入参拝を行います。
宮入後は外神田各町会の神酒所を神輿を担いで訪問し、交流を深めます。
その後、正午過ぎには秋葉原駅前中央通り「おまつり広場」へと場所を移し、外神田連合12基、岩本町東神田連合3基と江戸神社千貫神輿と協力して、神輿天国を盛り上げていきます。

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神輿宮入 ライブ配信

2019年05月12日 08:34

神輿宮入 ライブ配信

Youtubeライブ配信 生中継スタートしました。
東京ケーブルネットワークでも同時放送中

1部(8時半〜)
https://youtu.be/PSHKKMcbfdA

2部(14時〜)
https://youtu.be/VMMwlVRQnS0

3部(17時半〜終了まで)
https://youtu.be/F_kZ_UrTjbU

#令和元年神田祭

神輿宮入

2019年05月12日 06:55

神輿宮入

大小200の神輿が練り歩き粋でいなせな江戸っ子たちの 掛け声が響き渡る

神田祭で最も見応えのある神輿宮入。大小200を超える各町の神輿は、神田の町を練り歩きな がら神田明神を目指す。次々と神輿が到着する境内には壮麗な景色が広がり、氏子たちの熱気に圧倒される。

本日は9時ごろから、神臺会の宮入から始まります。
神幸祭同様、Youtubeライブ配信を行います。

1部 8時半〜
https://youtu.be/PSHKKMcbfdA
2部 14時〜
https://youtu.be/VMMwlVRQnS0
3部 17時半〜
https://youtu.be/F_kZ_UrTjbU

東京ケーブルネットワークでも、同時生放送いたします。
盛り上がっているポイントを教えていただければ、中継に伺います。
メール mail@kandamatsuri.ch
もしくは、#令和元年神田祭 でTwitterでつぶやいてくださいね。

昨日の神幸祭のYoutubeライブ配信のアーカイブを
https://youtu.be/Zqem5TPcKCA
でご視聴いただけます。

明日は神輿宮入「Internet TV 神田祭.ch」

2019年05月11日 20:50

明日は神輿宮入の日です。
「Internet TV 神田祭.ch」では8:30頃より、神輿宮入の様子を完全生中継いたします!!

臨場感あふれる、宮入をお伝えして行きます!お楽しみください。
ゲストに稲川淳二さん!他にも、シークレットゲストも登場します!!
お見逃しなく!!

ナビゲーター、ゲストへの応援メッセージ、コメントはインターネットTV神田祭.ch  投稿用メールアドレス
mail@kandamatsuri.ch
まで

Twitterはハッシュタグ「#令和元年神田祭」をつけてツイートをお願いいたします。

日本橋三・五地区 人形町二丁目三之部町会、蛎一共和会、

2019年05月11日 20:21

人形町二丁目三之部町会、蛎一共和会、浜町三丁目東部町会、浜町二丁目西部町会、蛎一町会自衛会、人形町一丁目町会、浜町一丁目町会
の神輿が7基で宮入しました。

【町会の特徴】
(人形町二丁目三之部町会)

 この一帯は「元吉原」の遊郭のあったところである。 かって江戸の遊里は各所に分散していたが、この地は 元和三年(一六一七)庄司甚衛門が幕府の公許を得て 開いた遊郭のあった所であり、明暦の大火(一六五七) で類焼し、浅草日本堤に移転するまでの三九年間、こ の地に江戸一番の歓楽街「元吉原」が存在していた。

現二丁目-五番地にある松島神社は、昔この辺りが 海であった頃、松の生い茂った小島の中にお祀りして あったので人々が松島稲荷大明神と唱え、正徳三年 (一七一三)新町が開設される時に、社号に因んで町 名を「松下町」にしたという。
また当町会北側の通りを「甘酒横丁」というが、明 治の頃からこの横丁の入り口に尾張屋という甘酒屋が あり、甘酒の煮えている釜を腰高の台にのせ、炭火で 保温しながら売っていたという。これが「甘酒屋横丁」 といわれるようになり、後に変化して「甘酒横丁」に なったという。

参考:
江都天下祭研究会神田倶楽部
「明神様の氏子とお神輿」
武蔵野書院 2001年4月1日初版

人形町二丁目三之部町会

蛎一共和会

浜町三丁目東部町会

浜町二丁目⻄部町会

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神田駅東地区 富山町町会

2019年05月11日 20:01
【町会の特徴】
富山町町会は、かつては武家地でしたが、
生徳3年(1712)芝増上寺が火除け地を造成する時、増上寺の門前町続きであった、「旧富山町、永井町、岸町、三島町」が収公された際、その代地として神田に現在の地が与えられ、町屋となりました。

明治初年に、それらの町を併せて「神田富山町」となりました。

町会の該当区域は、富山町全域となっています。

参考:
江都天下祭研究会神田倶楽部
「明神様の氏子とお神輿」
武蔵野書院 2001年4月1日初版

【神輿の特徴】
富山町町会の神輿は、昭和30年、後藤直光により作られました。

富山町

富山町

着輦祭

2019年05月11日 19:55

着輦祭

鳳輦・神輿を前に、行列が無事氏子町々への巡行を果たした奉告と感謝の神事。
神幸祭が無事厳かに執り行われました。

明日は、大小200の神輿が練り歩き粋でいなせな江戸っ子たちの掛け声が響き渡る「神輿宮入」です。
ライブ配信も、8時半から神輿宮入終了まで、すべてお送りいたします。

1部(8時半〜)
https://youtu.be/PSHKKMcbfdA

2部(14時〜)
https://youtu.be/VMMwlVRQnS0

3部(17時半〜終了まで)
https://youtu.be/F_kZ_UrTjbU

神田祭を見に来る方も、参加される方も、明日の神輿宮入をお楽しみください。

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外神田地区連合 神田田代町会 2019.05.12

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昭和39年に町名変更が実施されるまでは「台所町」と呼ばれていま ...

神輿宮入 ライブ配信 2019.05.12

神輿宮入 ライブ配信 Youtubeライブ配信 生中継スタートしました。 東京ケーブルネットワークでも同時放送中 1部( ...

神輿宮入 2019.05.12

神輿宮入 大小200の神輿が練り歩き粋でいなせな江戸っ子たちの 掛け声が響き渡る 神田祭で最も見応えのある神輿宮入。大小 ...

明日は神輿宮入「Internet TV 神田祭.ch」 2019.05.11

明日は神輿宮入の日です。 「Internet TV 神田祭.ch」では8:30頃より、神輿宮入の様子を完全生中継いたしま ...

日本橋三・五地区 人形町二丁目三之部町会、蛎一共和会、 2019.05.11

人形町二丁目三之部町会、蛎一共和会、浜町三丁目東部町会、浜町二丁目西部町会、蛎一町会自衛会、人形町一丁目町会、浜町一丁目 ...

神田駅東地区 富山町町会 2019.05.11

【町会の特徴】 富山町町会は、かつては武家地でしたが、 生徳3年(1712)芝増上寺が火除け地を造成する時、増上寺の門 ...

着輦祭 2019.05.11

着輦祭 鳳輦・神輿を前に、行列が無事氏子町々への巡行を果たした奉告と感謝の神事。 神幸祭が無事厳かに執り行われました。 ...