
2024年より新紙幣一万円札の顔となる、日本経済の父と呼ばれる渋沢栄一。
渋沢栄一の銅像は、都内には3体ありますが、その内の一つが日本橋川沿いにある常盤橋公園にあります。
戦争による金属回収で一度は撤去されましたが、昭和30年に再建されました。
渋沢栄一は、2018年に創立140周年を迎える東京商工会議所をはじめ、日本初の銀行である第一国立銀行(現・みずほ)、東京証券取引所、東京ガス、帝国ホテル、キリンビールなど500社以上の設立に関与した大実業家でした。
22歳で江戸へ出て、お玉ヶ池にあった玄武館で剣術修行をしていました。
また、神田小川町裏神保小道に住んでいたこともありました。
神幸祭の行列は大手町一丁目の将門塚に到着しました。
現在、奉幣の儀(ほうへいのぎ)が執り行われています。
将門塚は古代に活躍した平将門公の御首(みしるし)をお祀りしています。
現在、日本最大のビジネス街、東京都千代田区大手町に位置します。
平将門公は、平安時代中頃に関東地方で天慶の乱を起こした人物です。徳治2年(1307)遊行寺二世真教上人が江戸に行脚した折、将門塚が荒れ果てていたため塚を修復し、板石塔婆を立てて傍らの日輪寺において供養したとされます。
現在の将門塚は、昭和45年(1970)に将門塚保存会などにより整備されたものです。
この地は、400年前、神田明神があった場所です。
4月28日(日)、東京ドームでの「巨人 vs 横浜DeNA」戦では、「神田祭デー」として開催されました。
試合当日は、「神田祭グッズ」が抽選で200人に当たるラッキーカードを、先着2万人に配布され、七回裏終了後に大型ビジョンで当選番号が発表されました。
ラッキーカードの当選者には、「みこしーTシャツ」がプレゼントされました。
内神田鎌倉町にある東大手ビルにて、将門塚保存会 平野徳子会長によります献饌が執り行われました。
平野徳子氏は前将門塚保存会会長の遠藤達藏氏のご令嬢でもあります。
牛若丸の山車が新調されました。
これから、将門塚に向かいます。
山田信三氏子総代によります献饌が執り行われました。
この周辺は江戸時代に、武家屋敷が多く立ち並んでいた地域でした。「天下のご意見番」として講談や時代劇でおなじみの大久保彦左衛門忠教も、寛永の頃、このあたりに住んでいたと伝わっています。
神幸祭の行列は、世界一の古書店街「神田神保町」を通過し、現在はすずらん通りを通過中です。
神保町は明治初頭に多くの大学が設立されたことに伴い、本屋が続々と集まっていき、今では世界最大の書店街となりました。
さらに、この街には古本屋だけではなく、すずらん通りという石畳の商店街があります。
すずらん通りでは、グルメや専門店などたくさんの魅力があふれています。
実際に街に訪れ、ゆっくりと歩いてほしい町のひとつです。
現在、行列は猿楽町を巡行中です。
猿楽町には明治11年に夏目漱石がかつて学んだ錦華小学校がありました。
錦華小学校は、1993年4月に小川小学校・西神田小学校と併合し、現在は千代田区立お茶の水小学校になりました。
神幸祭の行列は淡路町交差点を右に曲がり、靖国通りを巡行しています。
神田小川町から駿河台下に通 じる靖国通りに、スポーツ店が集積し始めたのは、第2次大戦後からといわれています。
現在のミズノ・ミナミ・ヴィクトリアを中心にして、半径500メートル以内に、スポーツ店が約50店舗近く集まり、現在のような世界でも類をみない「スポーツ店のメッカ」となりました。
1995年3月に小川町から駿河台下の主に靖国通りに位置する約60店舗が「神田スポーツ店連絡協議会」をつくり、同時に1995年から毎年10月に「神田スポーツ祭り」を企画し、街を挙げて魅力のあるスポーツ街づくりへの取り組みを継続しております。
日本有数のスポーツ用品店街を通り、猿楽町へ向かいます。
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