
【町会の特徴】
魚河岸水神社の歴史は古く、天正一八年(一五九〇) 徳川家康の入府とともに江戸へ移り住んだ日本橋魚市場の開祖、森孫右衛門が、徳川家の武運長久と子孫繁栄を祈り、併せて大漁安全を祈願するため、武蔵国豊 嶋郡柴崎村神田明神境内(今の千代田区大手町)に一社を建設し、祭神「彌都波能売命(ミズハノメノミコ ト)」を祀ったことにはじまるという。
元文五年(一七三九) 八代将軍吉宗の時代には、魚問屋仲間により、社殿を新築再建し、神輿を修理して大祭を執行したという。
しかし、明治初年社殿が頽破したため、明治六年(一八七三)から明治三三年(一九〇〇)までは、当時魚市場内にあった長浜町の常盤稲荷神社 に合祀されていた魚市場の関係者が旧来の姿に戻すべく努力され、明治三四年(一九〇一)に、神田明神境内に社殿を新築し、魚河岸水神社と社名を 変更し、日本橋魚市場の守護神としたという。
魚河岸会の水神社神輿は20年ぶりの宮入です。
参考:
江都天下祭研究会神田倶楽部
「明神様の氏子とお神輿」
武蔵野書院 2001年4月1日初版
福徳神社の献饌が行われました。
福徳神社は薬祖神社の隣、コレド室町の裏手にあります。
今回で3回目の薬祖神社奉賛会の献饌が行われました。
薬祖神社はコレド室町の裏手にあります。
日本橋三越本店本館前では、株式会社三越によります献饌が行われました。
日本橋の中央通りでは、附け祭の行列も合流し、巡行は一段と賑やかさがUPしました。
山本海苔店前では、山本人総代によります献饌が執り行われました。
江戸東京の名所の日本橋は、慶長8年(1603)に初めて架けられ、現在にいたりました。現在の日本橋は明治44年(1911)に竣工したもので、国の重要文化財となっています。
明治に入ると、日本橋の中央が国内諸街道の起点と定められました。今も橋の中央に日本国道路元標が埋め込まれています。
今、築地にある魚市場はかつて日本橋にあり、その由来から神田明神の境内には魚河岸水神社が祀られていて、築地魚河岸会の方々が参拝されます。
【町会の特徴】
馬喰町一丁目は「馬喰町一丁目 一の部町会」「同じく二の部町会」「三の部町会」
と3つに分かれています。
その2つの町会が合同で馬喰町一丁目としてお祭りを行います。
馬喰町一丁目は商業地区で、お隣の横山町町会さんと道を隔てて向かい合った問屋街と、
江戸通りをはさんだ両側となります。
お御輿は江戸通りの上り下りとも巡行いたします。
また、江戸通り裏のマンションが多い地区も巡行いたします。
現在の馬喰町1丁目の様子は問屋、企業、マンションと地に根をはられている方々、
務められている方々、住まわれている方々とその割合は変化しつつあります。
また、お祭りの核となる方々にも変化があり、今まで出来なかったこの宮入も、それが良い方向へ
向かったおかげで行うことができました。
時代の流れを直に行ける商業地ではありますが、歴史と伝統を上手く生かしながら、
時代に合わせることで継続していく力のある町会です。
今回2回目の宮入で、担ぎ方はまだまだですが「とにかく楽しく」をテーマに
お祭りを楽しんで行っております。
【神輿の特徴】
・昭和22年に造られた御神輿
・「馬一」の駒札
・紫の飾紐
・大きめの鳳凰
・萌黄色(もえぎいろ)の半纏(はんてん)の大紋(だいもん)は象形文字の「左馬」
【町会の特徴】
昭和9年8月それまでの「横山町一丁目、同二丁目の北大部、三丁目の西大部、通塩町の南大部」をあわせて横山町とし、昭和46年4月、住居表示実施により日本橋横山町になった。
甲州街道の本町通り両側に開けた町で一〜三丁目があった。
慶長年間(1596年〜1614年)に西本願寺があったが、明暦三年(1657年)の大火ののち西本願寺は築地に移り、跡地に町屋が開かれ、主要街道筋にあったため、商店街として急速に発展していった。
町名の由来は御家人横山某の知行地であったことによると言われる。
参考:
江都天下祭研究会神田倶楽部
「明神様の氏子とお神輿」
武蔵野書院 2001年4月1日初版
行列は、10月19日、20日に行われる「べったら市」で有名な、寳田恵比寿神社の前を通過中です。
商売繁昌の守護神として多くの人びとの崇敬を集めている、日本橋本町の寳田恵比寿神社は明治6年1月に神田明神の兼務社となりました。
宝田恵比寿神社の創建年代は不詳ですが、徳川家康江戸入府以前は宝田村の鎮守社だったといいます。
江戸城拡張により村の移転を命ぜられ、現大伝馬町へ遷座、当地は金銀為替、駅伝、水陸運輸と重要な役割を担い大変賑わったといいます。
また御神体の恵比寿神は、運慶作と伝えられ、徳川家康公から下賜されたもだといいます。
神田明神境内では、14時から神楽殿にて東京藝術大学の卒業生を中心とした邦楽グループ「天下祭社中」(代表・成田涼子さん)の皆さんによる長唄の奉納演奏が行われています。
この粋な長唄の奉納演奏、江戸の神田祭でも演奏されいたそうです。
江戸の風を感じますね。
この後、17時まで演奏される予定です。
行列は甘酒横丁を巡行中です。
甘酒横丁の街の由来は、明治時代、甘酒横丁入口付近に「尾張屋」という甘酒屋さんがあり、小路を「甘酒屋横丁」と呼んでいたのがこの呼び名の由来のようです。
関東大震災のあと、道路が広げられましたが、今でもこの道は「甘酒横丁」と呼ばれ親しまれています。
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