特別展 平将門公展2019
淺野健一氏による平将門公御神像奉納を記念して、「平将門公展2019 神田明神コレクションと6人の現代アーティスト」を開催します。奉納された将門公御神像も拝観できます、お見逃しなく!
開催日時 : 2019年7月1日(月)―7月29日(月) 午前9時―午後4時
拝観料 : 一般300円 学生200円 ※中学生以下無料
会場 : 東京都千代田区外神田2-16-2 神田明神 資料館
主催 : 神田明神
企画・運営: 株式会社トーキョー・ダブ・エージェント
協力 : 合同会社AKIBA観光協議会 株式会社版三
特設サイト
https://www.masakadokouten2019.com/
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泡盛GARDEN!!
沖縄銘菓とともに営業開始しました!
本日のみとなります。是非お越しください!!
琉球舞踊当日券は10時30分より販売開始いたします 皆様のご来場お待ちしております
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神田明神&沖縄!『泡盛GARDEN in神田明神』
令和元年6月2日(日) 10時~境内にて沖縄が誇る泡盛と紅芋タルト・ちんすこう・海ぶどう等沖縄の代表的な銘菓各種の販売をいたします。泡盛のほかにも飲み物がそろっております!
同日開催の琉球舞踊と共同開催です
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5月18日、19日に神田明神で「健康奉納フェス」が開催されます!18日には神田祭にも参加したアントキの猪木さんも登場します!その他にもたくさんのイベントがあります!
神田明神☆健康奉納フェスサイト
https://www.kenkobiday.site/1885
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YouTubeライブ配信は終了いたしました。
5/11・12のライブ配信のアーカイブをご視聴できます。
5/11神幸祭
https://youtu.be/Zqem5TPcKCA
5/12神輿宮入
1部 8時半〜
https://youtu.be/PSHKKMcbfdA
2部 14時〜
https://youtu.be/VMMwlVRQnS0
3部 17時半〜終了
https://youtu.be/F_kZ_UrTjbU
約1ヶ月後予定で、神田祭HP内にYoutubeアーカイブページをご覧いただけます。
今回2日間の放送を、町会ごとに分けて閲覧できるページです。
お楽しみにしていてください。
それまでは、ライブ配信アーカイブで、神幸祭や神輿宮入の映像をお楽しみください。
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【町会の特徴】
東日本橋二丁目町会はかつては両国と呼ばれていました。
両国と両国橋の西側の町に、明暦の大火後の万治2年(1659)に橋が架かり、交通上賑やかな地となりました。
火事の多い江戸に鑑みて二度と災害の悲劇を繰り返さぬ様にと各所に火除地を設けました。
両国にも中央区側に広小路が出来て、防火や避難に役立つ広場が設けられました。
いつの間にかこの空地を利用して軽業や見世物小屋が並び、水茶屋、喰べ物見世などで江戸で一番の賑やかで、華やかな場所になっていきました。
その賑やかさ・混雑ぶりは大変なもので、様々な本に出ているほどでした。
維新後は商店の並ぶ繁華な市街に変わって、面目一新した賑やかな商店街になっていきました。
また、米沢町は、多くは船宿の中心地であり、両国の川開きや花火と共に忘れることの出来ない町です。
米沢町から元柳町にかけては、船宿と共に有名な柳橋花街です。
これが両国の景況を明治になって支えていたといえます。
尚、平成15年には開府400年をお祝いして船渡御を挙行しました。
町会の該当区域は、東日本橋二丁目全域となっています。
【神輿の特徴】
東日本橋二丁目町会の神輿は、昭和35年、宮本重義により作られました。宮入の熱気と迫力を感じてください!
【町会の特徴】
東日本橋三丁目橘町会は古くは橘町と呼ばれた地域で、昭和46年の住居表示実施で現町名になりました。
江戸の初期には西本願寺の別院やその末寺がありました。
この西本願寺別院は元和7年(1621)3月准如上人が創建したもので、江戸海岸御坊、と呼ばれたと言います。
明暦の大火で、お堂の建物は延焼し跡形もなくなり、築地に移転復興しました。
その跡地は松平越前守の邸地となり、天和3年(1683)の邸地移転に伴って、町地になりました。
西本願寺のあった頃、門前に立花を売る店が多かったので、町の名を橘町と付けたと言われています。
当町会は繊維関係の問屋が多く、今でも着物が似合う粋な旦那衆が町会を支えています。
町会の該当区域は、東日本橋三丁目全域となっています。
【神輿の特徴】
東日本橋三丁目橘町会の神輿は、昭和42年に新たに町会有志にて寄贈されたものです。
紺に染め抜いた青伴天の青年部とグレーの伴天の一般担ぎ衆、総勢150名により宮入を行います。
【町会の特徴】
江戸神社 奉賛会は旧神田市場の関係者で構成されています。
江戸神社は、江戸最古の神社で、神田多町に青果市場があった江戸時代から市場関係者の間で守られてきた神社です。市場が秋葉原から平成元年に大田に移転してからも今日に続いています。
現在、神田神社の摂社として境内のお社にお神輿が祀られています。
【神輿の特徴】
当神社の神輿は「青果市場の神輿」、「神田市場の千貫神輿」と呼ばれ、約200人で担がれる大神輿です。
戦後昭和33年、当時の技術を結集して浅草小鳥町 の鹿野喜平が製作しました。他に類を見ない金物関係は大阪造幣局にいた名錺師阿部 長次郎が製作しました。神輿の静の美しさと、宮入時の動の華やかな姿を是非ご覧ください。
【町会の特徴】
1657年(明暦3年)、大火の後に伊勢津藩の藤堂和泉守の大邸宅と出羽鶴岡藩の酒井左衛門尉をはじめとした幕府諸役人の武家屋敷が建ち並んだこの地は、町の大部分を占めた藤堂和泉守の邸にちなんで「和泉町」と名付けられました。1868年(明治元年)、東京医学所が置かれ、後に大学東校、東京医学校等に改称され、現在の東京大学医学部の発祥の地となりました。また、1909年(明治42年)現在の三井記念病院の前身である三井慈善病院が設立されました。広大な和泉公園は1975年(昭和50年)農林省東京食料事務所跡地を4年間に及ぶ住民運動により獲得し、地域の憩いの場として整備したものです。
【神輿の特徴】
神田和泉町町会の神輿は秋葉原地区では一番の大きさを誇ります。
その大きさたるや、2尺5寸、重さは500キロにも達します!
当町会を愛して止まない担ぎ手350〜400人で宮入を行います。
必見ポイントは社殿前です。
前に進もうとする担ぎ手衆と、それを押さえようとする、町会青年部との間の攻め技合いです。
是非ご堪能ください。
【町会の特徴】
1744年(延享元年)、八代将軍吉宗の命で作られた天文台が置かれたこの地は、日本橋本材木町の材木商人であった佐久間平八が移住したことに由来。1727年(享保12年)、麹町平河町一丁目界隈が延焼した際、この焼け跡を山王日除地にし、その代替地として神田に与えられたのが神田平河町で、当時は「麹町平河町一丁目代地」といいました。1911年(明治44年)、神田佐久間町二丁目はいったん神田を取って、佐久間町二丁目と改称。同じく、神田平河町も平河町に改称しましたが、1947年(昭和22年)、昔ながらの神田佐久間町二丁目と神田平河町に名称を戻し、現在の神田佐久二平河町会となりました。
【神輿の特徴】
神田佐久二平河町会の神輿は昭和27年に名工、後藤 直光により製作され、一本彫りの繊細な彫刻が特徴であり、4年前に修復されました。是非ご注目ください。