
水天宮におきまして、水天宮宮司によります献饌が行われました。
水天宮は、文政元年(1818年)久留米藩の時の殿様有馬頼徳(よりのり)公が、領地久留米水天宮の御分社を三田赤羽の有馬藩邸に建てたのが創めです。
明治元年有馬邸が青山に移ると共に青山へ、さらに明治五年現在地に移りました。
神幸祭の行列を一旦離れ、有馬小学校にきました。
ここでは、附け祭の出陣式が行われています。
附け祭の行列はこの後、有馬小学校を出発し神田明神へと向かいます。
今回、初登場するのは、だいこくえびすのバルーン曳物です!
少彦名命御奉祀150年を記念して出されます!
15:00より、令和5年 神田祭、「インターネットTV神田祭.ch」の放映が開始されます。
本日、 5/13(土)神幸祭の様子は 15:00〜20:00頃(神幸祭の着輦祭終了まで)と5/14(日)神輿宮入 の様子は8:30〜20:00頃(神輿宮入終了まで)を行う予定です。
「インターネットTV神田祭.ch」は放映日に神田明神H.P(http://www.kandamyoujin.or.jp/)、
令和5年神田祭特設サイト(http://www.kandamyoujin.or.jp/kandamatsuri/)
神田明神公式ブログ(http://kandamatsuri.ch/)からご覧になることができます。
また、東京ケーブルネットワーク様(http://www.tcn-catv.co.jp/)のご協力で、
文京区、荒川区、千代田区のケーブルテレビで、
「インターネットTV神田祭.ch」を番組として放映いただきます。
明治座の前で、三田芳裕総代によります献饌が執り行われました。
明治座は、1873年(明治6年)に喜昇座(きしょうざ)として創建された、東京でもっとも古い歴史を持つ劇場です。
歌舞伎からミュージカルまで、多彩な演目が上演可能な舞台設備があり、今年、2023年で創業150年を迎えます。
行列は、両国旧御仮屋を出発し、午後の部が始まりました。
東日本橋一丁目を巡って、清洲橋通りに出て、明治座へと向かいます。
神幸祭の行列は両国旧御仮屋(現在の東京別院・薬研堀不動院)に到着しました。
ここは日本橋・両国広小路(当時・日本橋区両国米沢町)に作られた御仮屋のあった場所です。
かつては豪華な御仮屋が拵えられ、職人たちの技術の粋を集約した立派なものでした。
「御仮屋」(おかりや)とは神輿が一時的にとどまる場所のことです。
神輿が渡御した際に立ち寄り神事を行う「中継地」を意味し、祭の時に臨時に建てられる建造物です。
この両国旧御仮屋にて、昼御饌(ひるみけ)の儀が斎行されました。
また、併せて渡邊秀次総代によります献饌が行われました。
ここで午前の部は終了です。
昼食休憩をはさみ、出発します。
InternetTV神田祭.ch協賛の「赤帽首都圏軽自動車運送協同組合」様、
「株式会社全国赤帽」様が境内にてサンプリング中、
お時間のある方、是非お越しください。
InternetTV神田祭.ch協賛の「株式会社コスパ」様が境内にてサンプリング中、
お時間のある方、是非お越しください。
横山町問屋街を入ってすぐの、宮入本店前にて宮入正英総代によります献饌が行われました。
江戸時代初期、この地に西本願寺の別院がありましたが、明暦の大火の後に築地に移転したため、その跡地に町屋が開かれました。もとは御家人横山某の知行地で、それが町名の由来といわれます。
いまもありとあらゆる多彩な商品を扱う問屋が軒を接して店を構え、現金問屋街独特の雰囲気を作りだしています。
InternetTV神田祭.ch協賛の「大日本印刷株式会社」様が境内にてサンプリング中、
お時間のある方、是非お越しください。
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