
着輦祭
鳳輦・神輿を前に、神幸祭行列が無事に氏子の町々へ巡行してきたことの報告と感謝の神事「着輦祭」が行われました。
着輦祭の後、本日最後の神輿宮入が行われております。
インターネットTV神田祭.chでは、現在神輿宮入を生中継しております。
最後までお楽しみください。
【町会の特徴】
富山町町会は、かつては武家地でしたが、生徳3年(1712)芝増上寺が火除け地を造成する時、増上寺の門前町続きであった、「旧富山町、永井町、岸町、三島町」が収公された際、その代地として神田に現在の地が与えられ、町屋となりました。
明治初年に、それらの町を併せて「神田富山町」となりました。
町会の該当区域は、富山町全域となっています。
参考:
江都天下祭研究会神田倶楽部
「明神様の氏子とお神輿」
武蔵野書院 2001年4月1日初版
【神輿の特徴】
富山町町会の神輿は、昭和30年、後藤直光により作られました。
午前8時過ぎに発輦した神幸祭の行列は、約30キロの巡行を終え、神田明神境内へと戻ってきました。
夕闇の境内では、鳳輦・神輿を前に、神幸祭行列が無事に氏子の町々へ巡行してきたことの報告と感謝の神事「着輦祭」が行われています。
これで東京都108の町を巡る長い長い巡行を終え、木遣りによって「神幸祭」が締められました。
行列は神田明神の大鳥居前までやってきました。
鳳輦・神輿、諌鼓山車、獅子頭山車など、続々と参道を上がり、境内へ帰社していきます。
あいにくの雨ですが、附け祭が無事に神田明神に到着し始めました。
神幸祭の行列はいよいよ神田明神下交差点に到着しました。
一日中、熱気冷めやまぬまま、神幸祭の行列巡行はまもなくフィナーレを迎えます。
アーツ千代田3331前では、巫女舞が行われています。
【町会の特徴】
こちらは神田明神大神輿です。
平成11年11月12日、天皇陛下御即位十年奉祝祭典で、皇居外苑広場において初の奉舁。
12年5月7日、水天宮より氏子各区域を巡って神田明神へ渡御。
13年10月13日、静岡県・浅間神社鎮座千百年奉祝大祭に天下祭の御縁で静岡市内を渡御。
14年5月12日、蔭祭の年、愛子内親王御生誕記念奉祝として、日本橋〜神社間を渡御。
さらに16年より3回にわたって蔭祭の年に渡御。
その後も、21年11月に天皇陛下ご即位20年を奉祝し皇居外苑を渡御。
さらに23年10月、東日本大震災復興鎮災祈願神輿渡御祭、27年の遷座400年記念奉祝・神田祭の時にも渡御した。
江戸時代の神田祭では2基の神輿が出され、神田・日本橋さらには江戸城内を渡御し、祓い清めた。
神輿行列は江戸幕府から費用が出され、新調と修復が行われたと伝わり、また神輿を担ぐ人々も、伝馬役という国役を担った、大伝馬町・南伝馬町の人々に限定されていたという。
現在の神田祭では神社から鳳輦2基と神輿1基が出され、氏子108町会では多くの町神輿が担がれている。
【神輿の特徴】
平成の御造替事業完成を祝し、平成12年5月に六世宮惣により制作。
台輪4尺1寸、屋根の上に乗る鳳凰が極彩色であることが特徴。
神幸祭の行列は秋葉原から末広町を巡行していきます。
この地域では、3基の鳳輦神輿のみの巡行です。
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