行列は和泉橋を巡行しています。
このまま、秋葉原駅の東を通り、和泉公園へ向かいます。
このアプリは平成29年(2017年)の神田祭を楽しむために、「神田祭ラボ powered by 地図ファブ」の一環として制作されました。
「天下祭」「江戸三大祭り」などとして名高い神田祭。
お神輿のお祭りとして有名ですが、附け祭の山車が加わる神幸祭の壮麗な行列も見事です。
そんな神田祭とICT(情報コミュニケーション技術)とを融合させて、歴史ある神田祭を新感覚で楽しんでしまおうという企画が「神田祭ラボ」です。
「神田祭ぶらり」では、江戸・明治と現代の地図を自由に行き来しながら、神田祭の巡行路にまつわる歴史情報をお楽しみいただけます。祭の巡行路が時代とともに大きく変わったことも実感いただけるでしょう。
是非、アプリをダウンロードして神田祭をより一層、お楽しみください!
2年に一度しか手に入らない貴重なグッズを神田祭の記念やお土産にどうぞ!
身に着けるものや持ち回り品も神田祭一色で揃えたいところ。
2年に一度しか手に入らない貴重なグッズなので、記念にもお土産にもぴったりです。
9時から16時30分の間、鳳凰殿・休憩所にて頒布いたします。
神幸祭の行列が神田明神を出発し、もう11時を過ぎました。
神田明神境内では、ソバリエ協会鵜の会を中心とした方々による蕎麦打ちの技術の実演奉納が行われています。
昔から「蕎麦は江戸・東京の下町に限る」と言われ、今でも江戸東京の下町蕎麦が代表的な日本食と言われています。
職人の技が光ります。
神幸祭の行列は大手町一丁目の将門塚に到着しました。
現在、奉幣の儀(ほうへいのぎ)が執り行われています。
将門塚は古代に活躍した平将門公の御首(みしるし)をお祀りしています。
現在、日本最大のビジネス街、東京都千代田区大手町に位置します。
平将門公は、平安時代中頃に関東地方で天慶の乱を起こした人物です。徳治2年(1307)遊行寺二世真教上人が江戸に行脚した折、将門塚が荒れ果てていたため塚を修復し、板石塔婆を立てて傍らの日輪寺において供養したとされます。
現在の将門塚は、昭和45年(1970)に将門塚保存会などにより整備されたものです。
この地は、400年前、神田明神があった場所です。
内神田鎌倉町にある東大手ビルにて、将門塚保存会 平野徳子会長によります献撰が執り行われました。
平野徳子氏は前将門塚保存会会長の遠藤達藏氏のご令嬢でもあります。
牛若丸の山車が新調されました。
これから、将門塚に向かいます。
14日の神輿宮入のスペシャルゲストは、稲川淳二さんです。
稲川さんが出演される時間帯は、14時半〜15時半ごろと17時半〜19時ごろです。
みなさん、お楽しみに!!
錦城学園高校前で、山田信三氏子総代によります献撰が執り行われました。
この周辺は江戸時代に、武家屋敷が多く立ち並んでいた地域でした。「天下のご意見番」として講談や時代劇でおなじみの大久保彦左衛門忠教も、寛永の頃、このあたりに住んでいたと伝わっています。
錦町河岸交差点のヒロセビル前で、廣瀬元夫氏子総代によります本日初となる献撰が行われました。
氏子総代は明治14年頃に内務省(今の総務省に近い省)により制定され、衆望ある町の人士から選ばれました。
神幸祭の行列は、世界一の古書店街「神田神保町」を通過し、現在はすずらん通りを通過中です。
神保町は明治初頭に多くの大学が設立されたことに伴い、本屋が続々と集まっていき、今では世界最大の書店街となりました。
さらに、この街には古本屋だけではなく、すずらん通りという石畳の商店街があります。すずらん通りでは、グルメや専門店などたくさんの魅力があふれています。
実際に街に訪れ、ゆっくりと歩いてほしい町のひとつです。