平成11年11月12日、天皇陛下御即位十年奉祝祭典で、皇居外苑広場において初の奉舁。
12年5月7日、水天宮より氏子各区域を巡って神田明神へ渡御。
13年10月13日、静岡県・浅間神社鎮座千百年奉祝大祭に天下祭の御縁で静岡市内を渡御。
14年5月12日、蔭祭の年、愛子内親王御生誕記念奉祝として、日本橋〜神社間を渡御。
さらに16年より3回にわたって蔭祭の年に渡御。
その後も、21年11月に天皇陛下ご即位20年を奉祝し皇居外苑を渡御。
さらに23年10月、東日本大震災復興鎮災祈願神輿渡御祭、27年の遷座400年記念奉祝・神田祭の時にも渡御した。
江戸時代の神田祭では2基の神輿が出され、神田・日本橋さらには江戸城内を渡御し、祓い清めた。
神輿行列は江戸幕府から費用が出され、新調と修復が行われたと伝わり、また神輿を担ぐ人々も、伝馬役という国役を担った、大伝馬町・南伝馬町の人々に限定されていたという。
現在の神田祭では神社から鳳輦2基と神輿1基が出され、氏子108町会では多くの町神輿が担がれている。
旧蛎殻町二丁目と元大坂町の地域には、江戸後期から明治2年まで江戸幕府の銀貨鋳造所が設置されていた。
銀座役所と呼ばれもともとは京橋に設置されていたが、当地に移転してきてから「蛎殻銀座」と呼ばれるようになったという。
当役所では新政府による新円切替えにより大阪市の造幣局に貨幣製造業務が移転するまで、寛永通宝の四文銭を鋳造していた。
参考:
江都天下祭研究会神田倶楽部
「明神様の氏子とお神輿」
武蔵野書院 2001年4月1日初版
「ここ掘れワンワン」の台詞で有名な昔話の一つの「花咲かじいさん」の疋き物と練物です。
この附け祭は江戸時代の神田祭の絵巻物に描かれていた行列を復元したものです。文化資源学会はじめ、多くの方々が参加しています。
「花咲かじいさん」と同じくらい有名な昔話のひとつの「浦島太郎」です。
「浦島太郎」は今回が初お目見えなんです!
東京大学文化資源学研究室と文化資源学会の協力により、江戸時代に神田祭りに出ていた「浦島太郎」の曵き物と練物を復元しています。