中神田十三ヶ町連合 司町一丁目町会 子ども神輿

25.05.11

【町会の特徴】
司町一丁目の歴史は、江戸時代にさかのぼります。この地には、かつて三河町【みかわちょう】、皆川町【みながわちょう】、
蝋燭町【ろうそくちょう】、旭町【あさひちょう】という4つの町が存在していました。

「三河町には、徳川家康の家臣である三河衆が屋敷を構え、皆川町は大名屋敷が並ぶ地域でした。
一方、蝋燭町では、江戸の灯りを支えた蝋燭商人が暮らし、旭町には、秋田藩佐竹家ゆかりの地として佐竹稲荷神社が祀られていました。

時は流れ、明治時代。この地域は、商業地として大きく発展していきました。
神田駅が開業し、多くの商店や出版社が軒を連ねるようになりました。

そして、昭和10年(1935年)、4つの町が統合され、『司町【つかさちょう】』という新しい町名が誕生します。
名付け親は、神田神社の宮司・平田盛胤【ひらた もりたね 】 。
その名には、『者の頭領【とうりょう】なれば、未来永劫【みらい えいごう】栄ゆること疑いなし』という願いが込められました。

しかし、時代は激動を迎えます。第二次世界大戦による東京大空襲で、この地域も壊滅的な被害を受けました。
戦後の復興とともに、司町はオフィス街として再生し、現在では多くの企業が集まるビジネスエリアへと変貌しました。

現在、町名は「内神田【うちかんだ】」になりましたが、住民組織である町会では「司【つかさ】」の名前を引き継ぎ
「司町一丁目町会【つかさちょう  いっちょうめ ちょうかい】」として存続しています。
町会の該当区域は内神田一丁目9〜11・16〜18番地及び内神田二丁目10〜12・15番地となっています。

【神輿の特徴】
司町一丁目町会の神輿は、昭和31年、宮本重義【みやもと しげよし】の手により作られました。
大きさは台輪【だいわ】寸法2尺2寸です。
蕨手【わらびで】の所に、銀の龍をあしらった優美な神輿です。
担ぎ手からは「楽しく担げる神輿です」と言われるような、町会と同じように人情味溢れる神輿です。
また、数年前には子ども神輿と山車を修復しました。
特に山車は昭和9年の大祭に皇太子殿下ご生誕を記念して作られて以来の大修復となりました。

【子ども神輿】