中神田十三ヶ町連合 内神田美土代町会

25.05.11

【町会の特徴】
町名の由来は、かつてこの地域に伊勢神宮【いせじんぐう】へ奉納する稲、初穂【はつほ】を育てる水田、「みとしろ」が
あったことにちなんで生まれたものであるとも、また、「神田【かんだ】」を訓読みすると「みとしろ」になるため
「美土代町【みとしろちょう】」としたとも言われています。

内神田美土代町会【うちかんだ みとしろ ちょうかい】があるこの地域一帯には、江戸時代、高位の武士たちの武家屋敷【ぶけやしき】が
立ち並んでいました。
​特に元禄年間(1688年~1704年)には、五代将軍徳川綱吉【つなよし】の側近として活躍した柳沢吉保【やなぎさわよしやす】が
屋敷を構えていました。
その他、老中や若年寄【わかどしより】を輩出した由緒正しい武家の屋敷が軒を連ねていたと言われています。

一方、武家屋敷だけではなく、商人や職人が住む町屋もありました。
江戸時代の美土代町【みとしろちょう】周辺は、重要な武家屋敷地【ぶけやしきち】でありつつも、
新たな風俗・流行を生み出すこともできる、懐【ふところ)の深い町でした。

明治5年(1872年)に美土代町が成立し、当初は一丁目から四丁目までの広い町域を持っていました。
​しかし、時代が進むにつれてその範囲は縮小し、昭和22年(1947年)に現在の千代田区神田美土代町が誕生しました。

町会の該当区域は神田美土代町及び内神田一丁目2〜4・12〜15番地となっています。

【神輿の特徴】
宮入は総勢300名の担ぎ手により、賑やかに、楽しく担ぎ上げます。
見物人の方々にも和気あいあいとした雰囲気が伝わると思います。
屋根唐破風【からはふ】型神輿の大神輿は、昭和28年、宮本 重義【みやもと しげよし】の手により生まれました。
特徴のあるデザインが魅力です。