
【町会の特徴】
須田町北部町会【すだちょう ほくぶ ちょうかい】は昭和8年に設立しました。
この地域は、かつて「須田村【すだむら】 」と呼ばれる農村地帯でした。
江戸時代初期の慶長年間(1596年~1615年)に江戸の町の整備が進む中で、須田村も農村から町人の町へと変貌しました。
しかし、古くからの地名は残され、明暦三年(1657年)の「新添江戸之図【しんてん えどのず】」には「すた町」と記されています。
江戸時代、須田町【すだちょう】は8つの街道が集まる交通の要衝【ようしょう】であり、神田川の舟運の拠点でもありました。
これにより市場が開かれ、商業地として賑わいました。
かつて、この辺りには、現在は中央線となった甲武鉄道【こうぶてつどう】の始発駅である、万世橋駅【まんせいばしえき】があり、
東京で一番交通の便利な場所でした。
須田町【すだちょう】交差点の雑踏【ざっとう】ぶりは「親知らず子知らず」と称されるほどで、
大正初年(1912)に、交通巡査が日本で初めて立ったのもこの須田町交差点であったと言われています。
また、須田町北部町会には出世稲荷【しゅっせいなり】神社という、誰もがあやかりたい名前を持つ神社があります。
創立の頃より、町内の鎮守神【ちんじゅしん】であったと言われています。
現在の社殿は昭和3年に完成したもので、毎年9月15日に祭祀【さいし】を行っています。
町会内には、昭和初期の建築物が多く残されています。
1930年(昭和5年)創業の甘味処「竹むら」は、入り母屋作りの3階建ての建物で、東京都の選定歴史的建造物に指定されています。
【神輿の特徴】
須田町北部町会の神輿は、昭和16年に製作されました。
伝統を重ねてきた神輿同様、我々担ぎ手も強い気持ちで担ぎ続けます。
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