
【町会の特徴】
昭和8年に「鍋町【なべちょう】北の大部分・鍛冶町【かじちょう】北の一部・鍋町西横町の内の一部」等が統合して
「神田鍛冶町三丁目【かんだかじちょう3ちょうめ】」となりました。
「鍛冶町」【かじちょう】という名称は、江戸幕府の鍛冶方棟梁【かじがた とうりょう】であった高井伊織【たかい いおり】の
拝領屋敷がこの地にあったことに由来します。1603年(慶長8年)の町割【まちわり】の際に「鍛冶町【かじちょう】」が誕生しました。
一方、現在の神田鍛冶町三丁目は、江戸時代には「鍋町(なべちょう)」と呼ばれていました。
この名称は、江戸幕府の御用鋳物師【ごよういもじ】であった椎名山城【しいな やましろ】が屋敷を構えていたことに由来します。
鋳物師【いもじ】とは、鍋や釜をつくる職人のことです。
他にも御腰物金具師【おこしもの かなぐし】や御印判師【ごいんばんし】なども住んでいました。
鍋町【なべちょう】に住んでいたのは、このような御用職人【ごようしょくにん】ばかりではありません。
紅【べに】や白粉【おしろい】などの化粧品、傘、菓子、釘や打物【うちもの】などを扱う各種の問屋をはじめ、
馬具【ばぐ】や武具【ぶぐ】をつくる職人まで店を構えて住んでいました。
江戸時代、この界隈は鍋のような日用品から馬具や武器まで、多種多様な商品が揃う町でした。
また、神田川沿いには河岸が設けられ、物流の拠点としても発展しました。
町会の該当区域は神田鍛冶町三丁目・内神田三丁目19〜21番地となっています。
【神輿の特徴】
神田鍛治三会町会の神輿は浅草岡田屋【おかだや】製です。
総勢350名の担ぎ手により宮入を行います。
宮入時の神輿振りに御注目下さい。
大興奮間違いなしです。
協賛スポンサー様はランダム順で表示しております。