岩本町・東神田地区連合 東神田町会

25.05.11

【町会の特徴】
江戸時代、この地域には、橋本町、江川町、富松町【とみまつちょう】、久右衛門町【きゅうえもんちょう】などの町が存在していました。
1700年代初頭、伊豆韮山(いずにらやま)の代官、江川太郎左衛門(えがわたろうざえもん)屋敷移転後に江川町が起立し、
享保2年(1718年)の火災後、外神田から富松町【とみまつちょう】が、
また、享保10年(1725年)久右衛門町【きゅうえもんちょう】がそれぞれ元地から代地としてこの地に至りました。
関東大震災(1923年)の復興計画に伴い、町名の再編が行われ、昭和9年(1934年)に橋本町、江川町、富松町【とみまつちょう】、
久右衛門町【きゅうえもんちょう】が合併して「東神田」となりました。​
さらに、昭和13年(1938年)には東神田町会が成立しました。
​昭和40年(1965年)の住居表示の実施により、東神田は東神田一丁目と東神田二丁目に再編されました。 ​

江戸時代中期から、神田川沿いの「柳原土手【やなぎはらどて】 」には古着を扱う露店が多く集まり、古着市場として栄えました。
​明治以降もこの地域は古着市場として続き、第一次世界大戦後には和装から洋装への移行に伴い、
古着から新品の安価な既製服を扱うようになりました。​現在でも、岩本町や東神田周辺は繊維問屋街として知られています。

戦後は繊維関連の現金問屋やその関連事業が集まり、町は大きく発展していきました。
時代は流れ、問屋から商社へと転業して行く中で、この町にオフィスビルやマンションが誕生し、新しい住人を迎えました。
昔から東神田に住んでいた人たちと、新しくこの町へやってきた人々。
東神田町会は今年で創立87周年を迎えます。
この神田祭を含めて、一緒に新しい「東神田」を作っていきたいと考えています。
当町会の該当区域は、東神田1丁目、1〜5、12〜17と東神田2丁目8〜10となっております。

【神輿の特徴】
東神田町会の神輿ですが、まずは、堂部の極彩色【ごくさいしき】注目してください。
堂嵌【どうはめ】は唐獅子に牡丹華【ぼたんばな】で「獅子の子落し」を表現しています。
牡丹華も背景の紫雲【しうん】も、繧繝彩色【うんげんさいしき】を施し、立体感を出しています。
華弁や葉端【はばし】に金彩【きんさい】を施す細やかさもあります。
欄間【らんま】には菊花【きっか】をあしらうなど、全部で15種の華を配します!
屋根に羽ばたく鳳【おおとり】は、平等院鳳凰堂の屋根飾で、1万円の裏のデザインと同じものです。
鳳の足下に古風な桝形露盤【ますがたろばん】、側面に東神田と陽刻しています。
昭和29年に浅子周慶によって作られました。台輪【だいわ】寸法2尺7寸の東神田型です!