
【町会の特徴】
この地域は、かつて「雁淵【がんぶち】」や「笹原【ささはら】」と呼ばれる沼地でした。
享保年間【きょうほうねんかん】1716年〜1736年以前、一時期は不老山無量寺寿松院【ふろうざん むりょうじ じゅしょういん】が
存在しましたが、間もなく元鳥越【もととりごえ】に移転し、その跡地が松平太郎八【まつだいら たろうはち】の武家地となりました。
その後、町屋として開発され、「岩本町【いわもとちょう】」が成立しました。
町名の由来については諸説あり、駿河台【するがだい】の高台から流れる神田川が砂や小石混じりの須田村【すだむら】を過ぎて、
さらに低い当地では岩場ができており、「岩場」が「岩本」になったという説や、当地が「雁淵【がんぶち】」と呼ばれていたため、「雁【がん】」を思わせる岩淵【いわぶち】があり、その「岩の根元」という意味で付けられた説などがあります。
江戸時代、この地域は材木商や古着商が集積し、商業地として発展しました。
特に、岩本町一帯(三丁目付近)は大規模な古着市場があり、多くの古着商が軒を連ねていました。
また、繊維業関連の企業や商店も多く存在し、現在でもその名残が見られます。
明治以降、岩本町は商業地域としての性格を強め、オフィスビルや商店が立ち並ぶ地域となりました。
1965年7月1日の住居表示実施により、神田岩本町の一部のほか、神田大和町、神田松枝町、神田元岩井町の全部、神田豊島町、
神田東松下町の各一部が合併し、現在の岩本町一丁目から三丁目が新設されました。
現在では、オフィスビルや商店が多く立ち並ぶ商業地域として発展を続けています。
町会の該当区域は、岩本町一丁目全域となっています。
【神輿の特徴】
岩本町一丁目町会の神輿は昭和31年、市川行徳【いちかわぎょうとく】の神輿師【みこしし】、
十四代 浅子 周慶【あさこ しゅうけい】により造られました。
台輪【だいわ】寸法2尺3寸の大神輿で、黒漆塗り【くろうるしぬり】の屋根には
神田明神の御神紋【ごしんもん】が光ります。
約300人の担ぎ手により宮入りを行います。
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