外神田地区連合 神田同朋町会

25.05.11

【町会の特徴】
神田同朋町【かんだどうぼうちょう】は、かつて現在の東京都千代田区外神田二丁目および六丁目の一部に位置していた町名です。

江戸時代初期、この地域は寺社地【じしゃち】として多くの寺院が立ち並んでいました。
​しかし、明暦3年(1657年)の明暦の大火【めいれきのたいか】により神田一帯が焼失。
​翌年、幕府は江戸の再開発を行い、神田神社の裏門周辺を御坊主衆【おぼうずしゅう】の屋敷地に指定しました。

​御坊主衆【おぼうずしゅう】とは、江戸城内で将軍や大名など身分の高い武士に仕えた法体【ほったい】姿の案内世話役で、
同朋衆【どうぼうしゅう】とも呼ばれていました。
「同朋【どうぼう】」というのは、室町時代に始まり、幕府の雑務【ざつむ】、茶事【さじ】を務めた僧体【そうたい】の小史【しょうし】のことを言います。
江戸幕府では、城中における大名の案内・更衣【こうい】・刀剣【とうけん】の上げ下げ・
茶弁当【ちゃべんとう】の世話をし、将軍外出の際には、長刀【なぎなた】を持って従っていました。
​彼らの屋敷地があったことから、この地域は同朋町【どうぼうちょう】と名付けられました。
さらに寛文【かんぶん】十年(1670年)には、町内に商人や職人が住む町屋も生まれ、町としての機能が発展していきました。

また、「南総里見八犬伝」で有名な曲亭馬琴【きょくてい ばきん】、本名、滝沢馬琴は、文政七年(1824)、
九段中坂【なかざか】からこの同朋町【どうぼうちょう】に移り、天保七年(1836)までこの町の住人でした。

明治2年(1869年)に神田同朋町【かんだどうぼうちょう】と改称され、1964年(昭和39年)の住居表示実施に伴い、
神田同朋町【かんだどうぼうちょう】は外神田二丁目および外神田六丁目へ編入されました。

【神輿の特徴】
神田同朋町会【かんだどうぼうちょう】の神輿は平成8年3月に新調しました。
宮本 卯之助【みやもと うのすけ】の作品です。
美しい仕上がりの中にも下町の落着きを調和した風情【ふぜい】になっています。