
【町会の特徴】
神田松富町会(かんだまつとみちょうかい)は、東京都千代田区外神田四丁目6番から13番を管轄する町会です。
江戸時代の外神田四丁目【そとかんだよんちょうめ】周辺には武家屋敷【ぶけやしき】以外に、商人や職人の住居が立ち並ぶ
「松下町二丁目【まつしたちょう にちょうめ】」、「松下町三丁目【まつしたちょう さんちょうめ】」、
「永富町三丁目【ながとみちょう さんちょうめ】」と呼ばれる町屋【まちや】が存在していました。
明治2年(1869)、これら三町【さんちょう】が合併し、さらに武家屋敷も編入して新しい町、
松富町【まつとみちょう】が誕生しました。
この名前は、松下町【まつしたちょう】と永富町【ながとみちょう】から一文字ずつ取ってつくられたものです。
町の真ん中を走る現在の中央通りにあたる道は、江戸時代、将軍が上野の寛永寺【かんえいじ】へ参詣【さんけい】するときに
通る道でもありました。
特に毎年正月十日に行われた「正月御成【しょうがつ おなり】」では、将軍は必ずここを通ったので、
道の名前まで御成道【おなりみち】と呼ばれるようになりました。
因みに、将軍御成【しょうぐん おなり】の当日は、沿道の家は火を使うことも許されないほど、厳重な警備体制が敷かれていたようです。
昭和40年頃までは、町内には稲倉魂命【うかの みたまの みこと】を祀【まつ】る三社稲荷【さんしゃいなり】がありました。
講武所【こうぶしょ】の芸者の参詣【さんけい】は頻繁【ひんぱん】にあったと言われています。
【神輿の特徴】
神田松富町会の神輿は、昭和53年に宮本 重義【みやもと しげよし】の手により作られました。
迫力のある宮入を是非ご注目下さい。
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