外神田地区連合 神田五軒町々会

25.05.11

【町会の特徴】
「五軒町【ごけんちょう】」の名前の由来は、江戸時代、この界隈【かいわい】に、
上総久留里藩【かずさくるりはん】黒田家【くろだけ】上屋敷【かみやしき】、
下野黒羽藩【しもつけくろばねはん】大関家【おおぜきけ】上屋敷【かみやしき】 、
安房勝山藩【あわかつやまはん】酒井家【さかいけ】上屋敷【かみやしき】 、
播磨林田藩【はりまはやしだはん】建部家【たてべけ】上屋敷【かみやしき】 、
信濃上田藩【しなのうえだはん】松平家【まつだいらけ】下屋敷【しもやしき】と、
5つの大名屋敷【だいみょうやしき】が並んでいたことから五軒町【ごけんちょう】と名付けられました。

明治維新後、これらの大名屋敷は政府により接収され、桑や茶の植え付け地となりました。​
明治5年(1872年)には「神田五軒町」【かんだ ごけんちょう】と命名されました。
その後、明治30年代には、人家【じんか】が立ち並ぶようになり、てんぷらの名店や寄席【よせ】などができ、町は大いに賑わいました。
 
明治44年(1911年)には「五軒町」【ごけんちょう】と改称されましたが、昭和22年(1947年)に神田区と麹町区が合併して
千代田区となった際に再び「神田五軒町」【かんだ ごけんちょう】となりました。
​その後、昭和39年(1964年)の住居表示実施に伴い、外神田六丁目となりました。

神田五軒町々会【かんだ ごけんちょう ちょうかい】 は、明治38年(1905年)に住民を中心とした自治会として発足しました。​
以来、神田の地の気質を受け継ぎ、現在も活発な活動を続けています。

【神輿の特徴】
神田五軒町々会の神輿は、昭和52年に作られました。
屋根唐破風型【やねからはふがた】白木【しらき】造り総彫刻【そうちょうこく】です。
重さ約300キロ、台座2尺3寸(約70cm)、高さ6尺8寸(約200cm・鳳凰を含む)、幅4尺7寸(約150cm)、親棒【おやぼう】の長さ16尺(約500cm)という大神輿です。
数年前、約30年振りに総仕上げ直しをし、美しく輝いた神輿へと生まれ変わりました。
担ぎ手総数は350名にのぼります。