
【町会の特徴】
小川町【おがわまち】は小川町北部一丁目町会【おがわまち ほくぶ1ちょうめ ちょうかい】 、
小川町北部二丁目町会【おがわまち ほくぶ2ちょうめ ちょうかい】、小川町北三町会【おがわまち きた3 ちょうかい】
小川町三丁目西町会【おがわまち 3ちょうめ にしちょうかい】の4つの町会の連合となっています。
江戸時代初期、この地域には将軍の鷹狩に使用する鷹を飼育する鷹匠【たかじょう】が住んでいたことから、
「元鷹匠町【もとたかじょうまち】」と呼ばれていました。
しかし、元禄6年(1693年)に五代将軍徳川綱吉が「生類憐みの令」を施行し、鷹狩が禁止されたため、
この地域は神田の西半分を占める広大な地域を指す俗称として「小川町【おがわまち】」と呼ばれていました。
小川町【おがわまち】の名前の由来は、このあたりに清らかな小川が流れていたからとも、
「小川の清水【しみず】」と呼ばれる池があったからとも言われています。
明治時代、町内には東京物理学校(現在の東京理科大学の前身)をはじめ、教育機関や医療施設が設立され、
学術的な雰囲気が漂っていました。
また、西洋料理店やビリヤード場、小川町【おがわまち】警察署などがあり、学生たちで賑わう街でした。
町内で生まれ過ごした昭和期の小説家、永井 龍男【ながい たつお】を輩出した街でもあります。
昭和30年代頃からは学生や若者の趣味を反映して大型のスポーツ用品店が数多く出店し、スポーツ店街としても賑わいました。
町会の該当区域は小川町一・二・三丁目のほぼ全域となっています。
【神輿の特徴】
当初、小川町には、子ども神輿と中神輿【ちゅうみこし】、そして太鼓の山車があり、
子どもの数も多く、とても活気に満ちていました。
やがて、子ども達が大きくなってくると大きな神輿が欲しくなり、有志が集まり趣意書【しゅいしょ】を作り、
毎月の定額積み立てを続け、昭和61年3月に2尺5寸(約75.8cm)の大神輿を調製しました。
それ以来、祭の度に町会員やその知人が多数集まり、賑やかに楽しくお神輿を担いでいます。
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