外神田地区連合 神田旅籠町会

25.05.11

【町会の特徴】
神田旅籠町【かんだ はたごちょう】は、昌平橋【しょうへいばし】の北側にあたり、江戸時代から昭和期にかけて存在した町名で、現在の東京都千代田区外神田一丁目および三丁目の一部に該当します。

旅籠町【はたごちょう】の名称は、中山道【なかせんどう】の第一の宿場【しゅくば】である板橋宿【いたばししゅく】、
日光御成街道【にっこう おなりかいどう】の宿場町である川口宿【かわぐちしゅく】への街道筋【かいどうすじ】として、
旅籠【はたご】が数多く立ち並んでいたため、「旅籠町【はたごちょう】」と呼ばれるようになりました。

「日光御成街道【にっこう おなりかいどう】」は、江戸幕府の徳川将軍が日光参拝の際、
必ず通った街道で現在の国道122号にほぼ相当します。
こうした重要な街道の拠点となる町が旅籠町【はたごまち】だったのです。
そして「旅籠」とは、江戸時代、旅人を宿泊させ食事を提供させることを生業【なりわい】とする家のことでした。

旅籠という言葉自体はもともとは、旅の時に馬の飼料を入れる籠【かご】の意味が、旅人の食物雑品【しょくもつ ざっぴん】を入れる
籠【かご】の意味になり、さらに転じて宿屋で出される食事の意味になり、食事を提供する宿屋というようになりました。

明治に入ると、旅籠町【はたごちょう】は宿場町から商業地へと姿を変えていきます。1886年(明治19年)には、後の伊勢丹となる
「伊勢屋丹治呉服店【いせや たんじ ごふくてん】 」がこの地で創業。商人たちの賑わいは、時代を超えて続いていきました。

【神輿の特徴】
神田旅籠町会の神輿は昭和33年に南部屋 五郎右衛門【なんぶや ごろうえもん】によって作られました。
平成17年3月13日に神輿を、2尺5寸から2尺7寸へと大きくし、ますます迫力を増しました。
総勢300名の担ぎ手により、宮入りします。