
前田家の上屋敷は、天和2年(1682)の火事で類焼し、幕府に没収されます。
その翌年になると、湯島一丁目の職人や商人たちがそこに代地を与えられて移転してきましたが、金沢という町名はそのまま受け継がれていきました。
商人や職人の町として発展を続けた金澤町には、多種多様な店があったようで、文政7年(1824)に書かれた「江戸買物独案内」には、「やけど妙薬」で知られた田村万兵衛、「鼻紙袋」や「煙草入れ」を扱う津久田屋、瀬戸物問屋である玉川卯兵衛といった商人たちの名前が記載されています。
町会の該当区域は、外神田三丁目2・3・4・11番地となっています。
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