外神田地区連合 神田松富町会

19.05.12
【町会の特徴】
江戸時代の外神田四丁目周辺には武家屋敷以外に、商人や職人の住居が立ち並ぶ「松下町二丁目」、「松下町三丁目」、「永富町三丁目」と呼ばれる町屋がありました。
明治2年(1869)、これら三町が合併し、さらに武家屋敷も編入して新しい町、松富町が誕生しました。
この名前は、松下町と永富町から一文字ずつ取ってつくられたものです。

町の真ん中を走る現在の中央通りにあたる道は、江戸時代、将軍が上野の寛永寺へ参詣するときに通る道でもありました。
特に毎年正月十日に行われた「正月御成」では、将軍は必ずここを通ったので、道の名前まで御成と呼ばれるようになりました。
因みに、将軍御成の当日は、沿道の家は火を使うことも許されないほど、厳重な警備体制が敷かれていたようです。

昭和40年頃までは町内には稲倉魂命を祀る三社稲荷がありました。
御利益が多い神社で、講武所の芸者の参詣は頻繁にあったと言われています。

町会の該当区域は外神田四丁目6〜13番地となっています。

【神輿の特徴】
神田松富町会の神輿は、昭和53年に宮本 重義の手により作られました。迫力のある宮入を是非ご注目下さい。

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