
【町会の特徴】
神田金澤町【かんだかなざわちょう】は、神田明神下【かんだみょうじんした】にあり、御成街道【おなりかいどう】に沿った
町屋【まちや】でした。その名称と歴史は江戸時代初期に遡ります。
江戸時代初期、加賀藩 前田家は神田神社近くに上屋敷【かみやしき】を拝領しました。
加賀藩の藩主の居城【きょじょう】が金沢にあったことから、「金澤【かなざわ】藩」とも称されていました。
このため、前田家の上屋敷【かみやしき】があったこの地域は金澤町【かなざわちょう】と呼ばれるようになりました。
1657年(明暦3年)の明暦の大火【めいれきのたいか】により、江戸の大半が焼失しました。
この大火を契機に、幕府は都市計画の見直しを行い、大名屋敷を上屋敷【かみやしき】 ・中屋敷【なかやしき】 ・下屋敷【しもやしき】
に区分する政策を打ち出しました。
この政策により、加賀藩前田家は神田神社近くに上屋敷を構えることとなりました。
商人や職人の町として発展を続けた金澤町には、多種多様な店があったようで、
文政【ぶんせい】7年(1824)に書かれた「江戸買物独案内【えど かいもの ひとりあんない】」には、
「やけど妙薬【みょうやく】」で知られた田村万兵衛【たむら まんべえ】、
「鼻紙袋【はながみぶくろ】」や「煙草【たばこ】入れ」を扱う津久田屋【つくだや】、
瀬戸物問屋【せともの どんや】である玉川卯兵衛【たまが わうへえ】といった商人たちの名前が記載されています。
【神輿の特徴】
神田金澤町会の神輿は、昭和36年(1961年)に宮本重義氏によって制作されました。
美しい装飾が施されたこの神輿は、神田祭などの地域行事で活躍し、迫力のある担ぎぶりが特徴です。
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