外神田地区連合 神田金澤町会

19.05.12
【町会の特徴】
かつて金澤町と呼ばれていたこの地域は、神田明神下にあり、御成街道に沿った町屋でした。
1657年の明暦の大火以前は東本願寺の境内地でした。
その後は加賀金澤藩前田家の中屋敷となりました。
加賀藩は、藩主の居城が現在の金沢(石川県)にあったことから「金澤藩」ともいわれていました。
つまり、外神田三丁目に「金澤」という町名が伝わるのは、かつて加賀藩の藩邸があったからであると言われています。

前田家の上屋敷は、天和2年(1682)の火事で類焼し、幕府に没収されます。
その翌年になると、湯島一丁目の職人や商人たちがそこに代地を与えられて移転してきましたが、金沢という町名はそのまま受け継がれていきました。

商人や職人の町として発展を続けた金澤町には、多種多様な店があったようで、文政7年(1824)に書かれた「江戸買物独案内」には、「やけど妙薬」で知られた田村万兵衛、「鼻紙袋」や「煙草入れ」を扱う津久田屋、瀬戸物問屋である玉川卯兵衛といった商人たちの名前が記載されています。

町会の該当区域は、外神田三丁目2・3・4・11番地となっています。

【神輿の特徴】
神田金澤町会の神輿は昭和36年に宮本 重義により作られました。美しい神輿、迫力の担ぎぶりをご堪能下さい。

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