外神田地区連合 神田末廣町会

17.05.14

【町会の特徴】

末広町は、明治2年(1869)に「神田平永町・神田山本町・柳原岩井町・麹町平川町の各代地」七カ所を合併し、設立しました。

さらに十数件の武家地を吸収してその町域を大きくしました。

末広町と五軒町(現在の末広町交差点付近)にあった堀家の辻番所は、御府内随一との評判でした。

辻番と言えば、川柳に『辻番は生きた親父の捨て所』とあるように、大概、老人と決まっていました。

しかし、この辻番所では番人を雇う際に、武芸の心得のあるものを厳選して選考し、日々稽古を怠る事がなかったと言われています。

事件があれば六尺棒で応戦し、逃亡者がいればその棒を投げて足に絡ませて倒していたそうです。

また、明治元年(1868)5月の新政府軍と彰義隊との戦い(上野戦争)の始まりは、この辻番所前で開かれたものである、と言われています。

町会の該当区域は、外神田三丁目5〜10番地、及び14〜16番地となっています。

【神輿の特徴】

大正15年、神田名匠、「だし鉄」作の神輿です。

大きさは2尺3寸です。

屋根金梨造りで、神田神社氏子町会で現存する神輿の中では一番古い神輿です。

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