
【町会の特徴】
水辺に寄り添い、時代を超えて生きてきたまち。
そして、地域の絆を受け継ぐのが、浜町二丁目西部町会(はまちょうにちょうめ せいぶちょうかい)です。
この地は、延宝年間(えんぽう ねんかん)、1673年〜81年の絵図を見ると、そのほとんどは、稲葉丹後守(いなば たんごのかみ)の屋敷地(やしきち)と描かれ、江戸時代静けさと威厳に包まれた武家の町でした。
西側には“浜町川”が流れ、水運の要として、町人たちの暮らしと商いも息づいていました 。
やがて、明治の世が訪れ、町の姿は大きく変わっていきます。
武家の屋敷跡は浜町公園へと生まれ変わり、庶民の憩いの場となりました。
明治から昭和初期にかけては料亭街として栄えました。
当時は人力車が走り、芸者や三味線の師匠など、文化芸術に精通した人々が多く住んでいたとされています。
しかし、そんな穏やかなまちに、ひとつの“世の注目”が集まる事件が起きたのも、明治20年に浜町二丁目で起こった事件明治一代女(めいじいちだいおんな)」として芝居や映画にも描かれた「花井お梅による峯吉(みねきち)殺し」です。
浜町の芸者であったお梅は、年下の愛人・峯吉との関係に苦しみ、ついにある夜、彼を手にかけてしまいます。
その一件は世間を揺るがせ、新聞は連日、彼女の美貌と哀しみを報じました 。
約40年前から街のニーズが変化し、料亭が次第にマンションに変わっていきました。
浜町二丁目西部町会。 それは、大名の静寂、芸者の華やぎ、そして時に哀しみをも抱えながら歩んできた町の歴史を、
今日に語り継ぐ、“まちの記憶の番人”なのです。
【神輿の特徴】
浜町二丁目西部町会 (はまちょうにちょうめせいぶちょうかい) の神輿は、 1尺8寸とさして大きくはありません。
しかし、鋳物(いもの)でしつらえられた魅力的な飾りとあでやかな装いは、宵(よい)灯りの中で幻想的な雰囲気に包まれた神田明神の境内ではひとまわり大きく、ひときわ華やかにみえていることでしょう。
威勢のいい担ぎ手たちを御幣(ごへい)で導くのは、前回木頭 (きがしら) を務めた鳥井龍吾(とりい・りゅうご)さんです。
そして神輿を正面に見て右側の高張(たかはり)提灯で行く手を照らすのは奥様の鳥井由美 (とりい ・ ゆみ)さん。
さらにその後ろ、凛とした姿の手古舞はお嬢さんの鳥井眞美(とりい・まみ)さんが務めます。
神田祭の伝統を神輿とともに紡ぎながら、 家族の歴史もまた一歩一歩、 重ねられていきます。
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