日本橋三・五地区

23.05.13

浜町二丁目西部町会、蛎一共和会、蛎一町会自衛会、人形町一丁目町会、 浜三東部町会、浜町一丁目町会、人形町二丁目三之部町会 神輿宮入り

浜町二丁目西部町会、蛎一共和会、蛎一町会自衛会、人形町一丁目町会、 浜三東部町会、浜町一丁目町会、人形町二丁目三之部町会の神輿が7基で宮入りしました。

【町会の特徴】
 この一帯は「元吉原」の遊郭のあったところである。 かって江戸の遊里は各所に分散していたが、この地は 元和三年(一六一七)庄司甚衛門が幕府の公許を得て 開いた遊郭のあった所であり、明暦の大火(一六五七) で類焼し、浅草日本堤に移転するまでの三九年間、こ の地に江戸一番の歓楽街「元吉原」が存在していた。

現二丁目-五番地にある松島神社は、昔この辺りが 海であった頃、松の生い茂った小島の中にお祀りして あったので人々が松島稲荷大明神と唱え、正徳三年 (一七一三)新町が開設される時に、社号に因んで町 名を「松下町」にしたという。
また当町会北側の通りを「甘酒横丁」というが、明 治の頃からこの横丁の入り口に尾張屋という甘酒屋が あり、甘酒の煮えている釜を腰高の台にのせ、炭火で 保温しながら売っていたという。これが「甘酒屋横丁」 といわれるようになり、後に変化して「甘酒横丁」に なったという。

参考:
江都天下祭研究会神田倶楽部
「明神様の氏子とお神輿」
武蔵野書院 2001年4月1日初版

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