外神田地区連合 宮本町会

25.05.11

【町会の特徴】
宮本町【みやもとちょう】は、元和2年(1616年)に神田明神が現在の場所に鎮座【ちんざ】した際、
神主【かんぬし】が寺社奉行所【ぶぎょうしょ】に願い出て、商人や職人が住む町をつくりました。
​これが神田明神門前町【もんぜんちょう】 、神田明神表門前【おもてもんぜん】、神田明神裏門前【うらもんぜん】、
神田明神西町【にしまち】の門前町です。
明治2年(1869)に四つの町が合併し、神田明神門前町【もんぜんちょう】となった後、
明治5年(1872)には境内などの社地【しゃち】を編入して、神田宮本町【かんだ みやもとちょう】となりました。
「宮本」という名称は、江戸総鎮守である神田明神の「宮のもと」という意味を持ち、住民たちの誇りと心意気が込められています。

宮本町には、明治10年(1877)創業、開花【かいか】三十六席にも選ばれた「開花楼【かいかろう】」がありました。
ここは海抜40メートルの高台に建っており、見晴らしの良さと江戸前の料理が好まれ、
通人【つうじん】、粋人【すいじん】が集う場所として知られ、東京名所図会【とうきょう めいしょずかい】など、
多くの書物に残されています。
また、単に料理屋として著明【ちょめい】であるばかりではなく、書画店【しょがてん】や古書市【こしょいち】、
見本市【みほんいち】等、当時としては貴重な文化事業も多く開催されました。
明治18年(1885年)2月12日には湯島で火災が発生し、開花楼も被害を受けましたが、その後改修され、
再び多くの人々に利用されるようになりました。

町会の該当区域は、外神田二丁目16〜19番地、7番1号・4号の一部となっています。

【神輿の特徴】
宮本町会の神輿は、子供神輿を出します。
本年は神田明神の中神輿【ちゅうみこし】を担いで宮入します。

昭和35年、宮惣【みやそう】の製作によるものです。
迫力があり、熱気あふれる、力強い担ぎっぷりにご注目下さい。