秋葉原電気街

25.05.10

廣瀬ビル前では、廣瀬美智俊総代によります献饌が執り行われました。

現在、世界的な電気とサブカルチャーの聖地として知られる秋葉原電気街。
しかし、この地が人々の注目を集めるのは、実は今に始まったことではありません。

秋葉原周辺は、江戸時代には神田川の河岸(かし)に沿った物流の要所として栄えていました。
物資が船で運ばれ、川沿いには倉庫や商家が立ち並び、町人や職人が暮らす活気ある地域でした。
また、火除地としての機能も担っており、火災防止のための空き地や広場が整備されていたことが地名の由来にもなっています。

江戸の町は火事が多く、幕府はしばしば火除けのために都市計画を見直しました。
秋葉原という地名は、明治初期にこの地域に火除けの神として秋葉大権現を祀る秋葉神社が勧請されたことにちなみ、「秋葉原(あきはばら)」と呼ばれるようになったと伝えられています(当初は「火除地」「あきばはら」とも)。

時を経て、関東大震災と第二次世界大戦で大きな被害を受けた後、戦後の闇市として再びこの場所は活気を取り戻します。
焼け跡に集まった露天商たちがラジオ部品や家電の中古品を売りはじめ、次第に「電気街」としての顔を持つようになりました。

高度経済成長とともに、ラジオからテレビ、冷蔵庫、洗濯機へと生活家電が多様化し、秋葉原は日本の最先端技術を体感できる場所となります。
さらに1980年代以降はパソコンやソフトウェア、2000年代にはアニメやゲーム、メイド喫茶などの文化が融合し、今では国内外から多くの観光客が訪れるカルチャーの発信地に進化しました。

万世橋の上からは、神田川越しに江戸の物流を支えた水路の面影と、現代のネオンサインが交錯する秋葉原の風景を見ることができます。そこには、江戸の伝統と現代の象徴が折り重なる街の物語が息づいているのです。
神幸祭の行列はいよいよ秋葉原の街中を巡行中です。