この界隈が鍋町と呼ばれていた理由は、江戸幕府の御用鋳物師を務めていた、椎名山城が屋敷を構えていたためであると言われています。
鋳物師とは、鍋や釜をつくる職人のことです。他にも御腰物金具師や御印判師なども住んでいました。
鍋町に住んでいたのは、このような御用職人ばかりではありません。紅や白粉などの化粧品、傘、菓子、釘や打物などを扱う各種の問屋をはじめ、馬具や武具をつくる職人まで店を構えて住んでいました。
江戸時代、この界隈は鍋のような日用品から馬具や武器まで、多種多様な商品が揃う町でした。
町会の該当区域は神田鍛冶町三丁目・内神田三丁目19〜21番地となっています。