外神田地区連合 外神田五丁目栄町会

17.05.14

【町会の特徴】

外神田五丁目栄町はかつて、神田栄町と呼ばれ、江戸時代には武家屋敷が立ち並んでいた地域で、この一帯が豊前小倉藩小笠原家の中屋敷だった記録が残っています。

この界隈が大きく様相を変えたのは明治維新後のことです。

明治2年(1869)12月、神田相生町から出た火事によって、現在の外神田周辺は焼け野原となってしまいました。

そこで明治新政府は、神田竹町 、神田平河町 、神田松永町などに、防火のための火除地を設置し、鎮火神社(秋葉神社)を建立しました。

それらの町に住んでいた人たちがこの界隈に移転させられ、神田栄町となりました。

「栄」という名前は、新たに繁栄するように、との願いから付けられたと言います。

明治44年(1911)、町名は神田を取り、栄町と改称しますが、昭和22年に、神田区と麹町区が合併して千代田区が成立した際、ふたたび神田栄町となりました。

そして昭和39年、住居表示の実施で神田亀住町や神田元佐久間町とともに、現在の外神田五丁目となりました。

町会の該当区域は、外神田五丁目1・6番地となっています。

【神輿の特徴】

外神田五丁目栄町会の神輿は昭和54年製作のものです。

皆さまの心に強く迫る宮入りをします。

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