神輿宮入 最後の宮入

2017年05月14日 19:57

神輿宮入 最後の宮入

神輿宮入最後の「東日本橋二丁目町会」の宮入が行われ、全ての神輿宮入が終わりました。

そして、最後に「神田明神神輿」が宮入しました。
スペシャルゲストの稲川淳二さんをはじめ、神田明神関係者の方も神輿を担いでおります。

神田祭.ch公式ブログでは、実況中継を行っております。
http://kandamatsuri.ch/
神輿宮入終了まで神田祭.chインターネットTVで生中継しています。
https://www.youtube.com/watch?v=B_zqh–lKm0

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日本橋四地区連合 東日本橋二丁目町会

2017年05月14日 19:30

【町会の特徴】

東日本橋二丁目町会はかつては両国と呼ばれていました。

両国と両国橋の西側の町に、明暦の大火後の万治2年(1659)に橋が架かり、交通上賑やかな地となりました。

火事の多い江戸に鑑みて二度と災害の悲劇を繰り返さぬ様にと各所に火除地を設けました。

両国にも中央区側に広小路が出来て、防火や避難に役立つ広場が設けられました。

いつの間にかこの空地を利用して軽業や見世物小屋が並び、水茶屋、喰べ物見世などで江戸で一番の賑やかで、華やかな場所になっていきました。

その賑やかさ・混雑ぶりは大変なもので、様々な本に出ているほどでした。

維新後は商店の並ぶ繁華な市街に変わって、面目一新した賑やかな商店街になっていきました。

また、米沢町は、多くは船宿の中心地であり、両国の川開きや花火と共に忘れることの出来ない町です。

米沢町から元柳町にかけては、船宿と共に有名な柳橋花街です。

これが両国の景況を明治になって支えていたといえます。

尚、平成15年には開府400年をお祝いして船渡御を挙行しました。

前回、平成27年は御遷座400年をお祝いするために、12年振りに再び船渡御を挙行しました。

町会の該当区域は、東日本橋二丁目全域となっています。

【神輿の特徴】

東日本橋二丁目町会の神輿は、昭和35年、宮本重義により作られました。宮入の熱気と迫力を感じてください!

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日本橋四地区連合 東日本橋三丁目橘町会

2017年05月14日 19:00

【町会の特徴】

東日本橋三丁目橘町会は古くは橘町と呼ばれた地域で、昭和46年の住居表示実施で現町名になりました。

江戸の初期には西本願寺の別院やその末寺がありました。

この西本願寺別院は元和7年(1621)3月准如上人が創建したもので、江戸海岸御坊、と呼ばれたと言います。

明暦の大火で、お堂の建物は延焼し跡形もなくなり、築地に移転復興しました。

その跡地は松平越前守の邸地となり、天和3年(1683)の邸地移転に伴って、町地になりました。

西本願寺のあった頃、門前に立花を売る店が多かったので、町の名を橘町と付けたと言われています。

当町会は繊維関係の問屋が多く、今でも着物が似合う粋な旦那衆が町会を支えています。

町会の該当区域は、東日本橋三丁目全域となっています。

【神輿の特徴】

東日本橋三丁目橘町会の神輿は、昭和42年に新たに町会有志にて寄贈されたものです。

紺に染め抜いた青伴天の青年部とグレーの伴天の一般担ぎ衆、総勢150名により宮入を行います。

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江戸神社奉賛会

2017年05月14日 18:43

【町会の特徴】

江戸神社 奉賛会は旧神田市場の関係者で構成されています。

江戸神社は、江戸最古の神社で、神田多町に青果市場があった江戸時代から市場関係者の間で守られてきた神社です。市場が秋葉原から平成元年に大田に移転してからも今日に続いています。

現在、神田神社の摂社として境内のお社にお神輿が祀られています。

【神輿の特徴】

当神社の神輿は「青果市場の神輿」、「神田市場の千貫神輿」と呼ばれ、約200人で担がれる大神輿です。

戦後昭和33年、当時の技術を結集して浅草小鳥町 の鹿野喜平が製作しました。他に類を見ない金物関係は大阪造幣局にいた名錺師阿部 長次郎が製作しました。神輿の静の美しさと、宮入時の動の華やかな姿を是非ご覧ください。

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秋葉原東部地区連合 神田佐久二平河町会

2017年05月14日 18:12

【町会の特徴】

1744年(延享元年)、八代将軍吉宗の命で作られた天文台が置かれたこの地は、日本橋本材木町の材木商人であった佐久間平八が移住したことに由来。1727年(享保12年)、麹町平河町一丁目界隈が延焼した際、この焼け跡を山王日除地にし、その代替地として神田に与えられたのが神田平河町で、当時は「麹町平河町一丁目代地」といいました。1911年(明治44年)、神田佐久間町二丁目はいったん神田を取って、佐久間町二丁目と改称。同じく、神田平河町も平河町に改称しましたが、1947年(昭和22年)、昔ながらの神田佐久間町二丁目と神田平河町に名称を戻し、現在の神田佐久二平河町会となりました。

【神輿の特徴】

神田佐久二平河町会の神輿は昭和27年に名工、後藤 直光により製作され、一本彫りの繊細な彫刻が特徴であり、4年前に修復されました。是非ご注目ください。

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秋葉原東部地区連合 神田佐久間町三丁目町会

2017年05月14日 17:55

【町会の特徴】

江戸時代、秋田藩主佐竹右京大夫や、坂倉主計頭の大名屋敷があり、町人地と混在して活気ある町でした。町名は1744年(延享元年)来、日本橋本材木町の材木商人であった佐久間平八が移住したことに由来します。1868年の(明治元年)明治維新の後、坂倉家の屋敷が取り払われ、1902年(明治35年)、東京市立佐久間尋常小学校が開校しましたが、1931年(昭和6年)、総武線開通工事により校舎が取り払われ、佐久間公園になりました。1923年(大正12年)の関東大震災時、住民総出のバケツリレーで延焼を防ぎ町を守った伝説は有名。また、公園内にはラジオ体操会発祥の地を記した記念碑があります。

【神輿の特徴】

神田佐久間町三丁目町会の神輿は、昭和32年に後藤 直光の手により生み落とされました。

豪快で、元気いっぱいの担ぎっぷり、ご注目ください!

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秋葉原東部地区連合 神田佐久間町四丁目町会

2017年05月14日 17:44

【町会の特徴】

1744年(延享元年)来、日本橋本材木町の材木商人であった佐久間平八が移住したことに由来する佐久間町の中で、一番東に位置する町です。材木や炭、薪などを商う人々が多く住みついたこの地は、1869年(明治2年)、神田佐久間町四丁目元地、神田佐久間町四丁目裏地、神田富松町元地が合併して神田佐久間町四丁目となりました。1872年(明治5年)、江戸時代末期から隣接する武家地を編入して町は広がりました。1911年(明治44年)、いったんは神田を取り、佐久間町四丁目と町名を変更しましたが、1947年(昭和22年)、神田区と麹町区が合併して千代田区となるのを機に、再び神田佐久間町四丁目となりました。

【神輿の特徴】

神田佐久間町四丁目町会の神輿は昭和32年に浅子 周慶により作られました。キレイな彫刻、豪快な担ぎっぷりに是非ご注目ください。

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秋葉原東部地区連合 東神田三丁目町会

2017年05月14日 17:32

【町会の特徴】

1616年(元和2年)、駿府在城時の徳川家康に仕えた三河国八名川村出身の旗本らが江戸に召されたことの地を拝領したことから「八名川町」と呼ばれました。同年、隣接する地に久右衛門という名主が町屋を拓いたことから「元久右衛門町」ができ、また、1927年(享保12年)、幕府の鷹狩の為の餌となる小鳥等を納める役人の屋敷があったことから「餌鳥町」となりました。さらに、神田川南岸側から見て川向うにあたることから名付けられた「向柳原町」があります。これらの旧町が時代とともに変遷し、1967年(昭和42年)、神田の北東に位置することから東神田三丁目となりました。

【神輿の特徴】

光り輝く神輿に御注目下さい。

東神田三丁目町会の神輿は神輿師の製作ではなく、宮大工により造られました。総勢300名での宮入となります。

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秋葉原東部地区連合 神田和泉町町会

2017年05月14日 17:15

【町会の特徴】

1657年(明暦3年)、大火の後に伊勢津藩の藤堂和泉守の大邸宅と出羽鶴岡藩の酒井左衛門尉をはじめとした幕府諸役人の武家屋敷が建ち並んだこの地は、町の大部分を占めた藤堂和泉守の邸にちなんで「和泉町」と名付けられました。1868年(明治元年)、東京医学所が置かれ、後に大学東校、東京医学校等に改称され、現在の東京大学医学部の発祥の地となりました。また、1909年(明治42年)現在の三井記念病院の前身である三井慈善病院が設立されました。広大な和泉公園は1975年(昭和50年)農林省東京食料事務所跡地を4年間に及ぶ住民運動により獲得し、地域の憩いの場として整備したものです。

【神輿の特徴】

神田和泉町町会の神輿は秋葉原地区では一番の大きさを誇ります。

その大きさたるや、2尺5寸、重さは500キロにも達します!

当町会を愛して止まない担ぎ手350〜400人で宮入を行います。

必見ポイントは社殿前です。

前に進もうとする担ぎ手衆と、それを押さえようとする、町会青年部との間の攻め技合いです。

是非ご堪能ください。

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神田駅東地区連合 紺屋町南町会

2017年05月14日 16:54

【町会の特徴】

紺屋町南町会は慶長年間(1596〜1615)に徳川幕府の江戸城下に割り当てられた地域で、藍を扱う商人とそれを使用して藍染めをする職人達が多く住んでいたことから紺屋町といわれる様になりました。

全国の城下町には数多くの紺屋町があり、又、江戸にも三ヶ所ありましたが、現在の東京には神田紺屋町が残っているのみとなっています。

その後、併合や分割などを経て今日の地域になりました。

今川中学校の正門の前のブロックです。中間に北乗物町がありその北と南に分かれているので、戦後昭和30年2月にGHQによって解散させられた町会を復活し南に当たるので紺屋南町会として新たに発足いたしました。

町会の該当区域は紺屋町1〜25となっています。

【神輿の特徴】

紺屋町南町会の神輿は、平成11年、町会員の飯田昭次郎の手により作られました。

紙と木で作られた神輿です。

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神輿宮入 最後の宮入 2017.05.14

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